精《こんせい》峠の金精神がこれに依って子を賜うなど信じ、※[#「くさかんむり/從」、第4水準2−86−64]蓉の二字を略して御肉と尊称した(『本草図譜』一、坂本浩然の『菌譜』二等に図あり)。真の肉※[#「くさかんむり/從」、第4水準2−86−64]蓉は御肉と同じく列当《はまうつぼ》科に属すれど別物で、学名をフェリベア・サルサと呼び、西シベリア、蒙古、ズンガリアの産、鎖陽は蛇菰《つちとりもち》科のシノモリウム・コクネシウムで蒙古沙漠に生ず(ブレットシュナイデル『支那植物学編《ボタニコン・シニクム》』三)。いずれも、生態が菌類に酷《よく》似た密生草で、野馬群住する地に産するから馬精より生ずといわれ、菌と等しく発生が甚だ暴《にわ》かだから無夫之婦《むふのふ》などに名を立てられたのだ。
 予多くの支那旅行家より聞いたは、支那内地で金儲けは媚薬とか強壮剤とかに限る、現に日本始め南洋諸地からその種が絶えるまで採って支那へ売り込む海参《なまこ》、東海夫人《いか》、鰒《あわび》は、彼らが人間第一の義務と心得た嗣子を生ましむる事受け合いてふ霊物と確信され、さてこそかくまで重大な貿易品となったのだと。しかしこの点について、邦人が支那を笑う事もならぬ。幕政中年々莫大の金を外国へ渡して買うた薬品は、済生上やむをえぬ事と言うたものの、その大部分は、当時永続の太平に慣れて放逸縦行した無数の人間が、補腎健春の妙薬としてしきりに黄白を希覯の曖昧《あいまい》品に投じたのである。例せば支那から多量に年々輸入した竜眼肉てふ果物は、温補壮陽の妙薬として常住坐臥食い通した貴族富人が多かった。しかるに維新後、漢医法|廢《すた》れて一向この果売れず、黴《かび》だらけになって詮方なきところから、大阪でも東京でも辻商人にその効能を面白く弁じさせ、二束三文で売らせてもさっぱり捌《さば》けなんだと聞く。ちょうど同時に、大阪の鮫皮商が、廃刀令出て鮫皮が塵埃同然の下値となり、やむをえず高価絶佳の鮫皮を酢で煮《に》爛《ただ》らかして壁を塗る料にして售《う》った事もあり。さしも仙薬や宝玉同然に尊ばれた物も一朝時世の変で糞土よりも値が下がる事、かくのごときものあった。往時日本で刀剣を尊んだに付け、鮫皮を鑑賞する事夥しく、『鮫皮精義』等の専門書もあり、支那、ジャバ、前後インド諸国の産を夥しく輸入したが、予先年取り調べてペルシア海の鮫皮がもっとも日本で尊ばれたと知った。而してタヴェルニエーの『波斯紀行《ヴォヤーシュ・ド・ペルス》』四巻一章に、十七世紀にペルシア人欧州と琵牛《ペグウ》の銅を重んじたが最も日本の銅を賞めたとあれば、日本の銅とペルシアの鮫皮と直接に易《か》えたら善《よ》かったのだが、当時両国間の通商開けず、空しく中に立った蘭人に巨利をしてやられたのは残念でならぬ。
 さて人間に催姙の薬あらば、畜類にもそんな物あるべしとの想像から出たものか、肥前平戸より三里ほどなる生月島《いけづきじま》に、古来牧馬場あり、かつて頼朝の名乗|生嘱《いけずき》を出すという。里伝にこの島に名馬草を産し、牝馬これを食えば必ず名馬を産めど、絶壁間に生える故馬これを求めて往々墜ちて死すと(『甲子夜話』続編五七)。その前文から推すにその処|甚《いと》危険で馬しばしば足を失するより出た話らしい。
 予在外中、維新前外国通商およびその商品について毎度調査した結果、右にほぼ述べた通り、媚薬とか房中剤とか実際不緊要な物に夥しく金銀を外邦へ失い居ると知り、遅蒔きながら何とかその腹癒《はらい》せもならぬものかと、左思右考してわずかに一策を得た。若年の時真言宗の金剛界曼陀羅を見ても何の事か分らず、在英中土宜法竜僧正から『曼荼羅私鈔』を受け読み噛《かじ》ると、塔中《たっちゅう》三十七尊を記せる内、阿※[#「門<((企−止)/(人+人))」、第3水準1−93−48]《あしゅく》、宝生、無量寿、不空成就《ふくうじょうじゅ》の四仏が嬉《け》鬘《まん》歌《か》舞《ぶ》の四菩薩を流出して大日如来を供養し(内四供養《うちのしくよう》)、大日如来|件《くだん》の四仏を供養せんとて香《こう》華《げ》燈《とう》塗《ず》の四菩薩を流出す(外四供養《そとのしくよう》)、塗《ず》とは、〈不空成就仏、塗香を以て供養す、釈迦穢土に出で、衆生を利益せんと、濁乱の境界に親近す、故に塗香を以て穢濁を清む、この故に塗香を以て供養するなり〉とあった。これで香菩薩は焼香、塗菩薩は塗香もて供養すと判った。塗香はざっと英語のアングエントに当り、医学上の立場からアンクション、宗儀上はアノインチングというらしい。油脂|牛酪《バター》等を身に塗り、邪気を避け病毒を防ぎ、また神力を添え心身を清浄にする事で、暖熱の地の民はこれを日常大緊要の務めとする者多く、豕《ぶた》の脂など塗るを地
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