う)。〈内臣また好んで牛驢不典の物を吃う、挽口というはすなわち牝具なり、挽手というはすなわち牡具なり、また羊白腰とはすなわち外腎肉なり、白牡馬の卵に至りてもっとも珍奇と為し、竜卵という〉(劉若愚の『四朝宮史酌中志』巻二十)。ロンドンで浜口担氏と料理屋に食した時、給仕人持ち来た献立書を見て、分らぬなりに予が甘麪麭《スイートブレット》とある物を注文し、いよいよ持ち来た皿を見ると、麪麭《パン》らしく見えず、蒲鉾《かまぼこ》様に円く豆腐ごとく白浄な柔らかなもの故、これは麪麭でないと叱ると、いかにも麪麭でないが貴命通り甘麪麭《スイートブレット》だと言い張り、二、三度言い争う。亭主|予《かね》て予の気短きを知れば、給仕人が聞き違うた体に言い做《な》し、皿を引き将《も》て去らんとするを気の毒がり、浜口氏が自分引き取りて食べ試みると奇妙に旨《うま》いとて、予に半分くれた。予食べて見るに味わい絶佳だから、間違いはその方の不調法ながら旨い物を食わせた段感賞すと減らず口|利《き》いて逃げて来た。翌日近処で心安かったから亭主に会って、あれは全体何で拵《こしら》えたものかと問うと、牝牛の陰部だと答えた。しかるに字書どもには甘麪麭は牝牛の膵《すい》等の諸腺と出づれど、陰部と見えず。ところが帰朝のみぎり同乗した金田和三郎氏(海軍技師)も陰部と聞いたと話されたから、あるいは俗語郷語に陰部をもかく呼ぶのかと思えど、この田舎ではとても分らず、牛驢の陰具を明の宮中で賞翫《しょうがん》した話ついでに録して、西洋通諸君の高教を俟《ま》つ。
『周礼』に庖人《ほうじん》六畜を掌り、馬その第一に位し、それから牛羊豕犬鶏てふ順次で、そのいわゆる五穀は麻を[#「麻を」は底本では「麻をを」]首《はじめ》とし、黍《もちきび》と稷《うるきび》それから麦と豆で、これに※[#「禾+朮」、第3水準1−89−42]《もちあわ》と稲と小麦小豆を加えて九穀という。今日の支那では馬肉や麻子《おのみ》をさほど珍重せぬ。秦の穆公の馬を野人取り食いしも公怒らず、駿馬肉を食って酒を飲まずば体を敗ると聞くとて一同に飲ませやった。翌年韓原の戦に負け掛かった時、去年馬を食い酒を貰《もろ》うた者三百余人来援し大いに克《か》ちて晋の恵公を擒《とりこ》にした。また晋の趙簡子両白騾ありて甚だ愛せしに、ある人重患で白騾の肝を食わずば死ぬと医が言うと聞き、その騾の肝を取ってやった。のち趙が※[#「櫂のつくり」、第3水準1−90−32]《てき》を攻めた時、かの者の一党皆先登して勝軍《かちいくさ》した。逸詩に、君子に君たればすなわち〈正しく以てその徳を行う、賤人君たらば、すなわち寛にして以てその力を尽す〉という事じゃと、『呂覧』愛士篇に出《い》づ。本邦では普通に馬牛を食うを古来忌んだようだが、『古語拾遺』に白猪、白馬、白鶏を御歳《みとせ》すなわち収穫の神に献《たてまつ》ってその怒りを解く事あり。貴州の紅崖山の深洞中より時に銅鼓の声聞ゆ、諸葛亮ここに兵を駐《とど》めたといい、夷人祭祀ごとに烏牛《くろうし》、白馬を用うれば歳《とし》稔《みの》る(『大清一統志』三三一)てふ支那説に近い。あるいは上世日本でも地方と部族により、馬肉を食いもし神にも献じたものか。琉球では維新前も牛馬猫の肉を魚店《うおたな》で売り、婦女殊に馬肉を好み焼き食うたが、本土の人これを見れば大いに慙じたと(『中陵漫録』八)。蒙古人古来馬肉を食い、殊にその腐肉を嗜《この》み、また馬乳で酒を作った事は支那人のほかにルブルキスやマルコ・ポロやプルシャワルスキ等の紀行に詳《くわ》し。
ブラウンの『俗説弁惑《プセウドドキシア・エピデミカ》』三巻二十五章にいわく、プリニウスとガレヌスは痛く馬肉を貶《けな》しまた馬血を大毒と言ったが、韃靼人他に勝れて馬肉を食い、馬血をも飲むでないか、それは北方寒地の人体にのみ無害故しかりと言わんか。ヘロドトスが言った通り、ペルシアは暖国だがその人誕生祝いに馬肉を饗し、また全《まる》で馬、驢、駱駝を烹《に》用いて、ギリシア人が、かほどの美饌を知らぬを愍《あわれ》んだから、どの国で馬肉を食ったって構わぬはずだと。メンツェルの『独逸史《ゲシヒテ・デル・ドイチェン》』巻の一にゲルマンの僧は、馬を牲《いけにえ》にしその肉を食ったから、馬肉|喫《く》わぬ者をキリスト教、これを食うはキ教外の者と識別した、古スウェーデンでもキリスト教を奉ずる王に強いて馬肉を食わせ、その脱教の徴《しるし》としたという。四十七、八年前パリ籠城《ろうじょう》の輩多く馬を屠《ほふ》ったが、白馬の味|太《いた》く劣る故殺さず、それより久しい間パリに白馬が多かった(『随筆問答雑誌《ノーツ・エンド・キーリス》』十一輯七巻百九頁)。マルコ・ポロ曰く、元世祖純白の馬一万匹あり、その牝の乳を帝
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