馬は上記諸名のほか竜宮の駒(また竜の駒、『尤の草紙』に迅《はや》き物雷神の乗るという竜の駒)、馬王《うまおう》海ウマ等の和名あり。ヴェネチアでも竜(ドラコネ)と呼ぶほど馬にも竜にも酷《よく》似る(一六〇四年フランクフルト版ゲスネル『動物全誌《ヒストリア・アニマリウム》』四巻、四一四頁)。故に陸上にあらゆる物は必ず海中にもその偶ありてふ古人の了簡(テンネント『錫蘭博物志《ナチュラル・ヒストリ・オヴ・セイロン》』七三頁)から推せば、これら諸魚の父たる海中の竜が、能く馬を孕ますほど親縁のものたるは、その稚子《ちし》また眷族《けんぞく》なる件の諸魚が半竜半馬の相を具うるので照々たりといわん。濠州海の海馬の一種は、殊にこの辺の消息を明らかにする。『本草綱目』蚕の条などに竜馬同気と云々種々理由あるべきも、まずは海馬楊枝魚海天狗など竜馬折衷の魚が竜棲むてふなる海中に少なからぬが一の主因だろう。漢の王充の『論衡』六に世俗竜の象《かたち》を画くに馬首蛇尾なりと出で、馬首蛇尾は取りも直さず海馬の恰好だ。唐の不空訳『大雲輪請雨経《だいうんりんしょううぎょう》』上に馬形竜王あり。竜てふ想像動物は極めて多因で諸多の想像と実物に因って混成したものなるはさきに詳論したつもりだが、馬と竜との関係について何にも説かなんだから今飛馬譚のついでにこれを論じ置く。
プリニウスいわくケンタウリ騎兵を初むと。これはギリシアのテッサリアの山林に住んだ蛮民全身毛深く時に里邑を犯し婦女を掠《かす》めたが、山中に住み馴れただけあって善く菜物を識《し》った。スミスの『希臘人伝神誌字彙《ジクショナリ・オブ・グリーク・エンド・ローマン・バヨグラフィー・エンド・ミソロジー》』一八四四年版六六六頁に拠れば、ケンタウリは牛殺しの義で、普通に前体は人、後身は馬という畸形で男と牝馬の間種とす。よほど昔ギリシア中でテッサリアの山民のみ騎馬を善くした時、他の諸民これを半人半馬の異物と思うた。その実テッサリア人|毎《いつ》も騎馬して牛を追い捕うる事、今の南米の騎馬牧人《ガウチョス》そのままだったらしく、紀元前四世紀、既にこれに象《かたど》った星宿|殺牛星《ケンタウロス》の名書き留めあれば、かかる誤解はよほど以前に生じいたのだ。スペイン人が初めて西大陸へ討ち入った時、土人騎兵を半人半畜の神と心得ひたすら恐れ入り、その為《な》すが任《まま》にして亡ぼされたは衆人の知るところだ。それほど恐れ入った馬も暫く見馴るれば何ともなくなり、今度は南北米の土人ほど荒馬乗りの上手はなしというほどその業に熟達し、ダーウィンの『探検航行記《ジョーナル・オヴ・レサーチス》』に南米土人が幼子を抱え裸で裸馬を擁して走り去る状を記し、真に古ギリシアの大勇士の振舞いそのままだと言い居る。またバートンは北米のインジアンが沙漠中に天幕と馬に資《よ》りて生活するよりアラビア人と同似の世態を発生した由を述べた。したがって西大陸に新規現出した馬に関する習俗が少なからぬ。たとえばパタゴニアのテフェルチ人は、牝牛馬の腹を割《さ》き胃を取り出しその跡まだ暖かなところへ新産児を入れ置き、いわくこうするとその児後年騎馬の達人となると、この輩以前は徒歩したが百年ほど前北方から馬を伝え不断騎りいてほとんど足で歩む能わず、また人死すれば馬と犬を殺し以前は乗馬に大必要な革轡《かわぐつわ》を本人の屍と合葬した(プリッチャード『巴太瓦尼亜貫通記《スルー・ゼ・ハート・オヴ・パタゴニア》』六章)。旧世界でも馬を重んずる諸民が馬を殺し馬具とともに従葬した例多く、南船北馬の譬えのとおり、蒙古人など沍寒《ごかん》烈風断えざる冬中騎して三千マイルを行きていささか障《さわ》らぬに、一夜地上に臥《ふ》さば華奢《きゃしゃ》に育った檀那《だんな》衆ごとく極めて風引きやすく、十五また二十マイルも徒歩すれば疲労言句に絶す(プルシャワルスキの『蒙古タングット国および北蔵寒境』英訳一巻六一頁)。その蒙古人と万里隔絶のパタゴニア人も同一の性質風習を具うるに至れるを見て同因多くは同果を結ぶと知れ。
民俗 (2)[#「(2)」は縦中横]
第五図[#図省略]ボーラズは一から三箇までの石丸を皮で包み、皮か麻緒を編んだ長紐《ながひも》を付けたのを抛《な》げて米駝鳥《リーア》などに中《あ》つると、たちまち紐が舞い絡《から》んで鳥が捕わる仕組みで、十六世紀に南米のガラニ人既にこれを用い、アルヘンチナのガウチョス人今日これを鉄砲よりも好み使う。パタゴニア人も以前は騎せずにこれを用いたが、今は馬上で使うようになったので、昔から使うたものの、馬入りてからその活用以前に増して奏功す。サー・ジョン・エヴァンス説に、スコットランドとアイルランドの有史前民がかようの物を使うた証拠品ありと。しかしその他に
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