南七十里にあり、俗に伝う宋の陽延昭、ここに屯爰《とんえん》す、馬※[#「足へん+鉋のつくり」、第3水準1−92−34]きて泉を得たり〉(『大清一統志』二二)。その他和漢馬が※[#「足へん+鉋のつくり」、第3水準1−92−34]《あが》き出した泉の話多し(同書同巻、一九〇〇年『随筆問答雑誌』九輯六巻に出た予の「神跡考」参照、柳田君の『山島民譚集』一)。『山海経《せんがいきょう》』に、〈天馬|状《かたち》白犬のごとくにして黒頭、肉翅能く飛ぶ〉とあり、堀田正俊の『※[#「風にょう+易」、第3水準1−94−7]言録《ようげんろく》』に、朝鮮の天馬形犬のごとく毳《にこげ》白兎のごとしといえるは、馬の属《たぐい》らしくないが翼生えた馬の古図も支那にある。『史記』などを見ると天馬は外国最駿馬の美称だ。仏教にも飛馬あれど、〈身能く飛行し、また能く隠形し、あるいは大にあるいは小にす〉と言うのみ翼ありと言わず(『増一阿含経《ぞういちあごんぎょう》』一四)。ラウズ英訳『仏本生譚《ジャータカ》』一九六に、仏前生飛馬たりし時鬼が島に苦しむ海商どもを救うた事を述べたるにも、その飛馬全身白く喙《くちばし》烏に似、毛ムンジャ草のごとく、神力を以て雪山よりセイロン(鬼が島)まで飛んだとあれど翼の記載はない。が、『リグヴェダ』既にアスヴィナウが赤き翼ある馬して海中よりブフギウスを拯《すく》い出さしむとあれば、釈尊出生より迥《ずっ》と前から翼ある馬の譚がインドにあったのだ。アリオストが記したヒポグリッフ、ハンガリーのタトス、古ドイツとスカンジナヴィアのファルケいずれも翼ありて空中を行く馬だ。
 ギリシアの古美術品に飛馬ペガソスを画くに必ず翼あり。それから思い付いてリンネウスが飛馬竜(ペガスス・ドラコニス)と命名したまま今も通用する小魚、和名はウミテング、その形怪異で牛若丸の対手《あいて》としていつも負けている烏天狗や応竜の日本画に似、英語で海竜《シードラゴン》という。予かつて生きた品を獲たが暫くして死んだからその活態を知らぬ。海馬、和名はタツノオトシゴまた竜の駒、蛟《みづち》の子など呼び、その頭馬に酷《はなは》だ似、左右の眼カメレオン同前別々に動く。このもの海藻や珊瑚類に、尾を捲き付くる体画竜のごとく性至って子を愛し、雄の尾の裏または腹下に卵を懐《だ》く嚢《ふくろ》または皮あって、その内で孵《かえ》った子供が自活し得るようになって始めて出で去る。昔人この事に気付いたものか、和漢とも雌雄の海馬を握れば安産すといい、その母愛さるればその子抱かるてふ理屈に拠ってか、予の宅前に棲《す》む人はこれを夫婦敬愛の守りとしている。また予その拠り所を知らねど、仏人コンスタンチンの『|熱帯の自然篇《ラ・ナチュール・トロピカル》』に、艶道の女神ヴェヌスこの魚を愛すと載す。日本や英国の産は数寸を出ねど、熱地の海のは二フィートに至る。楊枝魚《ようじうお》和歌山で畳針、海草郡下津浦でニシドチ、田辺辺で竜宮の使いというは海馬と近属ながら尾に捲く力がない。雄の腹下や尾裏に子を懐く事海馬に同じ(長尾驢《カンガルー》など濠州産の諸獣も腹の嚢中に子を育つるが、海馬などと異なり雌がその役を勤める)。楊枝魚多くは海産だが、和歌山などには河に住むもある。かつて高野山の宝物に深沙竜王と札打ちあったは大楊枝魚で、その王子とあったは小さき海馬だった。インドの経典に、馬頭鬼ダジアンス海中に霊香を守り常紐天《ヴィシュヌ》乳海中に馬身を現ずという。『無明羅刹経《むみょうらせつぎょう》』に、海渚中の神馬王八万四千の諸毛長く諸動物これに取り着いて助命さる。『根本説一切有部毘奈耶』に、天馬|婆羅訶《ばらか》海より出て岸辺の香稲を食う。この馬五百商人を尾と鬣《たてがみ》に取り着かせ海を渡りてその難を脱れしめたとある。話の和訳は『今昔物語』や『宇治拾遺』に出《い》づ。『大乗荘厳宝王経』にこの聖馬王は観音の化身とある。邦俗ホンダワラてふ藻を神馬草というは、その波に揺れながら枝葉間に諸生物を安住せしむる状《さま》を件《くだん》の神馬王の長毛に比して学僧輩が名づけたのかも知れぬ。さなくとも長きもの神馬の尾髪、神子の袖、上臈のかもじと『尤《もっとも》の草紙』に見る通り、昔は神の乗り物として社内に飼う馬の毛を一切截らなんだ。それを件の藻に思い寄せて神馬草と呼んだでもあろうか。ただし(四)〔性質〕に述べた通りこの藻で馬を飼った故名づくてふ説もある。この藻の中に海馬や楊枝魚多く住む。さて和漢アラビヤ等に竜が海より出で浜辺の馬に駿足の竜駒を生ます談多い。馬属ならぬものが馬を孕ますはずなければ、これは人知れず野馬か半野馬が孕ますに相違ないが、海獣中遠眼に馬らしく見ゆる物もあり。また海中に上述の飛馬竜、深沙竜王、竜宮の使いなど呼ばるる魚あり。殊に海
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