場合もあるに因《ちな》んで、一緒にその事どもを述べたので、両《ふた》つながらそれぞれ歴《れっき》とした訳があり、決して無茶苦茶な乱風でない。さて上に引いた至親の同姓婚を畜生が慙《は》じて自害自滅したのが事実ならば、ある動物に羞恥の念ある証としてすこぶる有益だが、これを例に採ってことごとく同姓婚を行うた古人を畜生劣りと罵るべきでない。既に挙げたヘラクレスのごとく自分の血統を重んずる一念よりかく行うた者ありて、自分の血統を重んずる一事が人畜間の距離絶大なるを示す所以《ゆえん》だから。
『大般涅槃経』に馬|獅《しし》の臭いを怖るといい、『十誦律毘尼序』にはその脂を脚に塗らば象馬等|嗅《か》いで驚き走るという、ラヤード言う、クジスタンの馬獅近づけば見えもせぬに絆を切って逃げんとす、諸|酋長《しゅうちょう》獅の皮を剥製《はくせい》し馬をして見|狎《な》れ嗅ぎ狎れしむと。菅茶山《かんちゃざん》曰く狼は熊に制せられ馬を殺す、しかるに熊は馬を怖ると(『筆のすさび』五一章)。馬また象と駱駝を畏《おそ》れ(ヘロドトス、一巻八十章、テンネント『錫蘭《セイロン》博物志』二章参照)、蒙古の小馬《ポニー》や騾は太《ひど》く駱駝を怖れる故専ら夜旅させ、昼間これを駱駝のみの宿に舎《やど》す(ヘッドレイ『暗黒蒙古行記《トランプス・イン・ダーク・モンゴリヤ》』五四頁参照)。『淵鑑類函』に、『馬経』を引いて馬特に新しい灰を畏る、駒がこれに遇わば死す、『夏小正』に仲夏の月灰を焼くを禁じたはこの月馬駒を生むからだと見ゆ。ベーカーの『ゼ・ナイル・トリビュタリース・オヴ・アビシニア』に、氏が獅子を銃する時落ち着いて六ヤードの近きに進み、獅子と睨み合いて却《しりぞ》かなんだ勇馬を記す。して見ると禀賦と訓練で他の怖ろしがる物を怖れぬ馬もあるのだ。『虎※[#「金+今」、第3水準1−93−5]経《こけんけい》』巻十に、猴《さる》を馬坊内に養えば患を辟《さ》け疥《かい》を去るとありて、和漢インド皆厩に猴を置く。『菩提場経』に馬頭尊の鼻を猿猴のごとく作る。猴が躁《さわ》ぐと馬用心して気が張る故健やかだと聞いたが、馬の毛中の寄生虫を捫《ひね》る等の益もあらんか。また上述乾闥婆部の賤民など馬と猴に芸をさせた都合上この二獣を一所に置いた遺風でもあろう。一八二一年シャムに往った英国使節クローフォードは、シャム王の白象|厩《べや》に二猴をも飼えるを見問うて象の病難|除《よけ》のためと知った由。
民俗 (1)[#「(1)」は縦中横]
有史前の民は多く野馬を狩って食用した。そのうち往々後日の儲《たくわ》えに飼い置くにつけその性|馴《な》らし使うに堪えたものと知れ、騎《の》り試みるに快活に用を弁ずるから、乗るも牽かせも負わせもして、ついに人間社会大必要の具となった。今日道路改善汽車発達して騎馬の必要昔日のごとくならねど、馬全廃という日はちょっと来るまい。『呂氏春秋』に寒衰《かんすい》御を始む。『荘子』に黄帝方明を御とし襄城《じょうじょう》の野に至る。『武経』に黄帝軍の両翼に騎兵を備うる事あり。古カルデア人は初めオナッガを捕え馴らして戦車を牽かせたが、のち中央アジアより馬入るに及び馬具を附けて使うた。ただしそれは上流間のみに行われ一汎には軍用されなんだ。邦訳『旧約全書』ヨブ記に、軍馬が「喇叭《らっぱ》の鳴るごとにハーハーと言い、遠くより戦を嗅ぎ付け」と出《い》づ。ジスレリの『文界奇観《キュリオシチイス・オヴ・リテラチュール》』九版三巻に、欧州で出した『聖書』の翻訳|麁鄙《そひ》で、まるで洒落本《しゃれぼん》を読むごとく怪《け》しからぬ例を多く出しいるが、たとい原文にそうあったとても典雅荘厳が肝心で、笑本の文句似寄りの語などは念に念を入れて吟味すべき大宗教の経典の日本訳に、ハーハーなどとそのまま出たは無邪気のようでも無智のようでもある。ペルシア、ギリシア、ローマ人も馬を重用し、ギリシア人殊に善く騎り馬上の競技を好みしが、勒《くつわ》と※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]《たづな》ありて鐙《あぶみ》なく、裸馬や布皮|被《き》せた馬に乗った。プリニウス説にベレロフォン始めて乗馬し、ペレツロニウス王※[#「革+橿のつくり」、第3水準1−93−81]と鞍と創製し、ケンタウリが騎兵の初めで、フリギヤ人は二馬、エリクトニウスは四馬に戦車を牽かせ始めたと。アーズアンいわく、モセスの書に拠ればフリギヤ人等より迥《はる》か前エジプト人が戦車を用いたが、馬幾疋附けたか知れずと。ピエロッチいわく、『聖書』に馬を記せる例は、まずヨシュア記に、カナアン軍多くの車馬もてメロム水辺に陣せるを、ヨシュア上帝の命に随い敵馬の足筋を截《き》り、敵車を焼きてこれを破ると載す、元来イスレール人は山国に住んだから馬
前へ
次へ
全53ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング