レオパトラは二人までその兄弟を夫とした。それと同理で后逝かばそのおかげでやっと位に安んじいた王の冠は娘の夫へ移るはず故、后逝きて王なおその位におらんと欲せば、自分の娘を娶って二度目の后と立つるのほかなしとは正論と聞ゆ。本邦にも上世母系統を重んじた例、国史に著われたものあれど今詳述せず。ただ一、二例を挙ぐると、『古事記』に、天孫降下の折随い参らせた諸神を列《つら》ねて、天児屋根命《あまつこやねのみこと》は中臣連《なかとみのむらじ》等の祖などいった内に天宇受売命《あめのうずめのみこと》は猿女君《さるめのきみ》の祖で伊斯許理度売命《いしこりとめのみこと》は鏡作連《かがみつくりのむらじ》の祖と書いた。この両神女なるに子孫の氏ある事疑わしと宣長は言ったが、そこがすなわち母系統で続ける氏もあった証拠で、『古語拾遺』に天鈿女命《あめのうずめのみこと》は〈猿女君の遠祖なり云々、今かの男女皆号して猿女君と為《な》す〉とある通り、その子孫代々男女とも父の氏を称せず母の氏で押し通したんだ。『東鑑』文治元年義経都落ちの条に、昔常盤御前が操を破りて清盛に事《つか》え娘を設けたは三子の命乞い故是非なしとして、その寵《ちょう》衰えては出家して義朝の跡を弔いそうなところ、いわゆる三十後家は立たない勢《せい》か、一条大蔵卿長成に嫁して生んだ侍従良成てふがその異父兄義経と安否を共にすべく同行した事見え、『曾我物語』には曾我兄弟の母が兄弟の父より前に京の人に相馴れて生んだ異父兄京の小次郎を祐成《すけなり》がその父の復仇に語らい掛くる事あり。いずれもその頃まで母系統を重んじた古風が残りいた証だ。柳田氏かつて越前のある神官の家の系図に、十数代の間婦女より婦女に相続の朱線引き夫の名は各女の右に傍注しあったという(『郷土研究』一の十)。八丈島民が母系を重んじたは誰も知るところだ。『左伝』に〈男女同姓、その生蕃せず〉とあるを学理に合ったよう心得た人多きも釈迦キリストなどを生じた名門に同姓婚の祖先あった者少なからず。植物などにも一花内の雌雄《しゆう》|蘂《ずい》交わって専ら繁殖し行くもある。繁縷《はこべ》などこの伝で全盛を続けいるようだ。もし同姓婚が絶対に繁殖の力乏しきものなら、最初の動植が同姓にして如何ぞ無数の後胤を遺し得んや。それからインドで一夫多妻の家の妻と一妻多夫の家の妻とが父系統母系統の優劣について大議論したのを読んだが今ちょっと憶い出さぬ。ただし母系統を重んずるにはまた拠るべき道理の争われぬものありて、女はいつ誰の種を孕むやら自分ですら知らぬ場合もあるもの故(仏教にこれを知るを非凡の女とす)、普通に夫の子と認められながら誰の種と判らぬが多い。されば姓氏を重んずる支那でも、〈田常斉の国中の女子|長《たけ》七尺以上なるを選み後宮と為す、後宮百を以て数え、而して賓客舎人の後宮に出入する者を禁ぜざらしむ、常卒するに及び七十余男あり〉。フレデリク大王が長大の男女を配偶して強兵を図った先駆で、大きい子を多く生みさえすれば実は誰の種でもよいという了簡、これは格外として、戦国の末わずか十年内に楚王后が生んだ黄歇の子と秦王后が生んだ呂不韋の子が楚と秦の王に立った。故に魏の※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]子才《けいしさい》以為《おも》えらく婦人保すべからずと。元景にいう卿何ぞ必ずしも姓王ならん。元景色を変える。子才曰く我また何ぞ姓※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]能く五世を保せんやと(『史記評林』四六と七八、『広弘明集』七)。しかるに誰の種にもせよ何女が孕み生んだという事は明らかに知りやすいから、某の母は誰、そのまた母は誰と、母系統の方が至って確かだとその流義の者は主張する。これを稽《かんが》えると本統の祖先崇拝は、母系統を重んずる民にして始めて誇り行い得るはずだ。天照大神《あまてらすおおみかみ》を女神としたは理に合わぬなどの論がかえって理に合わぬと惟う。いわんややたらに養嗣系図買いなどの行わるる国と来ては、いわゆるゆかりばかりの末の藤原で、日本人の子孫に相違ないと言い張り得れば足り、猿田彦の子孫鷺坂伴内の後裔と議論したって真の詞《ことば》費《つい》えじゃ。進化論から言わば動物を距つる事遠きほどその人間が上等で、動物に一として祖先崇拝の念など起すものなければ、この点においては祖先崇拝国民が祖先構わずの国民より優等だ。したがって予は祖先崇拝を大体について主張する一人だが、今日の事情が右のごとくだから、正銘の祖先崇拝は今となっては行い得ず、それよりも大切で差し迫った用事が幾らもあるだろうと考う。ここに一言するは同姓婚と母系統は必ずしも偕《とも》に行われず、しかしフレザーが言った通り、母統を重んずるよりやむをえず同姓婚を行う
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