御布施をし置いたから、乾闥婆に転生《うまれかわ》りは請合《うけあい》で何がさて馬が似るちゅうのが楽しみじゃ。インドまた香具売り兼|幻師《てじなし》軽業師《かるわざし》で歌舞乞食し行《ある》き、その妻女艶美でしばしば貴人に御目留まる賤民乾闥婆と呼ばるるあり。ヴォルテールいわく、『聖書』に神自身を模して人を作ったと言うは大法螺《おおぼら》で、実は人が自身を擬《まね》て神を作ったんじゃと。惟《おも》うに昔乾闥婆部の賤民が香具売り以下の諸業を以て乞食するに、たびたび馬を教えて舞い踊らせたから、その守護神を馬形としてまた乾闥婆と名づけ、香や楽や婚姻の神としたのでかかる賤民の妻が婚式を助くる事今もインドその他に多き上に、馬驢はその陰相顕著故これを和合繁殖の標識とせる事多し。『五雑俎』五に、宋の張耆《ちょうき》四十二子あり、〈諸姫妾の窓閣皆馬厩に直す、馬○○するごとに縦《はな》ってこれを観せしめ、随いて御幸するあれば孕を成さざるなし〉(『日本紀』武烈紀八年の条参照)。トルコのソリマン二世一日睾丸抜いた牡馬が戯るるを睹《み》、宦者《かんじゃ》も丸を去ったばかりでは不安心とて、その根部を切り尽さしめ後帝世々その制を沿襲した。けだしその推察通り宦者が婦女を弄ぶ例は尠なからぬ(タヴェルニエー『土耳古帝宮中新話《ヌーヴェル・リラチヨン・ド・ランテリユール・ジュ・セラユ》』一六七五年版二八頁、アンシロン『宦者攻撃論《ユーナキズム・ジスプレイド》』一七一八年版二〇六頁、『人性』八巻四号、緒方正清博士「支那および韓国の去勢について」)。さて緊那羅も本《もと》馬芸や歌舞を業とした部民で、その女が自分らより優等な乾闥婆部に娶《めと》らるるを、あたかも乾闥婆部の妻女が貴人に召さるるを名誉と心得て同然に怡《よろこ》んだので、本邦に例の多かった大工の棟梁の娘が大名の御部屋《おへや》となり、魚売りの娘がその棟梁の囲《かこ》い者《もの》となりていずれも出世と心得たに異ならぬ。
 プリニウスは馬が血縁を記憶して忘れぬとて、妹馬が自分より一年早く生まれた姉馬を敬する事母に優る、また眼覆《めかくし》して母と遊牝せしめられた牡馬が眼覆しを脱れて子細を知り、大いに瞋《いか》りて厩人を咬み裂いたのと崖から堕《お》ちて自滅したのとあるといった(『博物志《ヒストリア・ナチュラリス》』八巻六四章)。アンリ・エチエンの『アポロジ・プー・レロドト』十章に、十六世紀のイタリア人、殊に貴族間に不倫の行多きを攻めた末ポンタヌスの書から畜類に羞恥《しゅうち》の念ある二例を引く。一は牝犬がその子の心得違いを太《いた》く咬み懲らしたので、次は仮装した子馬と会った母馬が後に暁《さと》って数日内に絶食して死んだと馬主の直話だと。仏典にも『阿毘達磨大毘婆沙《あびだつまだいびばしゃ》論』一一九に、人が父母を殺さば無間《むげん》地獄に落ちるが、畜生が双親を殺さばどうだと問うに答えて、聡慧なるものは落ちれどしからざるものは落ちずとありて、その釈に、〈かつて聞く一聡慧竜馬、人その種を貪《むさぼ》り、母と合せしむ、馬のち暁《さと》り知り、勢を断ちて死す〉と見ゆ。『尊婆須蜜菩薩《そんばすみつぼさつ》所集論』には、〈御馬師衣を以て頭に纒う、牝馬に合するもの、すなわちこれわが母と知る、還って自らを齧み断つ〉とす。今日もアラビヤ人など極めて馬の系図を重んじ貴種の馬の血筋を堕さぬようもっとも腐心するを見れば、たまたま母子を配せしめた事もあろう。そのアラビヤ人は今日も同姓婚を重んじ、従妹は従兄の妻と極《き》めているから、婦《よめ》を求むるに先だち必ずまずその従兄の有無を尋ね許諾を受けにゃならぬ。かつて『風俗画報』で、泉州に二十余年前まで差当りと称え、年頃の娘に良縁なき時、差当りこれをその叔父に嫁して平気な所ありと読んだが、すなわち系統を重んずるの余習で、国史を繙《ひもと》く者は少なくとも鎌倉時代の末まで邦人殊に貴族間に同姓婚行われたと知る。支那は同姓不婚で名高い国だが、『左伝』『史記』などに貴族の兄弟姉妹と通じ事を起した例が少なからぬ。これも上世同姓婚を尚《たっと》んだ遺風であろう。アリヤヌスの『印度記《インジカ》』に、ヘラクレス老いて一女あったが相当な婿なし、王統の絶ゆるを虞《おそ》れ自らその娘を妻《めと》ったとある。フレザーの『アドニス・アッチス・オシリス』二版三九頁に、古ギリシアの王自分の娘を妻とした例多く挙げて基づくところの事実なしにかかる話は生ぜじ、またことごとく邪淫の念のみに起ったと想われぬ、そもそも王家母系のみを重んずる諸国にありては、王の后が真の王権を具し、王は単にその夫たるだけの訳で崇《あが》めらるるに過ぎず、したがって王冠が垢《あか》の他人の手に移らぬよう王はなるべくその姉妹を后とした。例せばエジプトの美女王ク
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