だなど伝うると等しく多少拠る所があったものか。
ついでに伝説へ書き遺した二、三項を述べよう。馬で海を渡した例は源|頼信《よりのぶ》佐々木|盛綱《もりつな》明智光春(これは湖水)など日本で高名だが支那にもあるかしらん。欧州では古英国のサー・ベヴィス・オヴ・ハムプタウンがダマスクスの土牢を破り逃ぐる時追い懸くるサラセン軍の猛将グラウンデールを殺し、その乗馬トランシュフィスを奪い、騎って海を渡り一の城に至り食を求むると城将与えず、大立廻りをするうち件《くだん》の名馬城将に殺されベヴィスまた城将を殺し、その妻が持ち出す膳をその妻に毒味せしめて後|鱈腹《たらふく》吃《く》うて去ったという。十二世紀にスペインのユダヤ人アルフォンススが書いた『教訓編』に騾が驢を父とするを恥じ隠し外祖父《ははかたのちち》が壮馬たるに誇ると載す。昨今日本に多い不義にして富みかつ貴き輩の子が父の事を語るを慙《は》ずるのあまり、その母は大名の落胤公家の余※[#「薛/子」、第3水準1−47−55]《よげつ》だったなど系図に誇るも似た事だ。しかしそんな者の母は多くは泥水|稼《かせ》ぎを経た女故、騾の母たる牝馬が絶えて売笑した事なきに雲泥劣る。十三世紀の末イタリアで出た『百昔話《ツェント・ノヴェレ・アンチケ》』九一に騾が狼に自分の名は後足の蹄に書かれいるというと、狼それを読まんとする際その額を強く※[#「足へん+易」、第4水準2−89−38]《け》ってこれを殺し、傍観しいた狐がこの通り人も字を知らば賢くないと言うとある。〈人生字を識るこれ憂苦の初め〉だ。さて字よりも一層憂苦の初めなのが色で、ベン・シラも女は罪業の初めで女故人間皆死ぬと述べた。沖縄首里の人末吉安恭君二月号に載せた予の不毛婦女に関する説を読んで来示に、かの辺りで不毛をナンドルー(滑らか)と俗称し、少し洒落《しゃれ》ては那覇墓《なはばか》と唱う、琉球の墓は女根に象《かたど》る、普通その上と周縁に松やうず樹|芒《すすき》等を栽《う》え茂らす、しかるに那覇近所の墓に限り多くは樹芒少なく不毛故の名らしい。墓を陰相に象るは本に還るを意味するならんとあった。これなかなかの卓見で仏教にも〈時に舎衛国に、比丘と比丘尼母子あり、夏安居《げあんご》、母子しばしば相《あい》見《み》る、既にしばしば相見て、ともに欲心生じ、母児に語りていわく、汝ただここを出で、今またここに入るのみ、犯すなきを得べし、児すなわち母の言のごとくし、彼を疑う、仏|言《のたま》わく波羅夷〉と出で(『四分律』五五)、誠に一休和尚が詠んだ通り一切衆生迷途の所、十方諸仏出身門だ。一九一四年八月英国皇立人類学会発行の『マン』にベスト氏いわく、ニュージーランド原住民マオリ人は女根に破壊力ありとし古くこれを不幸の住所と呼び禍難の標識とした、女神ヒネ、ヌイ、テポ冥界を宰《つかさど》り死人の魂を治む、勇士マウィ人類のために不死を求めんとて陰道(タホイト)より女神の体内に入らんとして殺されたと伝う、産門を死の家と名づく、人これに依って世に出れば労苦病死と定まりいるからだ、あるいはいわく女根は人類の破壊者だと、ヒンズー教にカリ女神を女性力すなわち破壊力の表識としこの力常に眠れど瞬間だも激すればたちまち劇しく起きて万物を壊《やぶ》りおわるとするを会わせ攷《かんが》うべしと。氏はこの信念の根本を甚だ不明瞭と述べたが熊楠はさまで難解と思わぬ。和合|究竟《くきょう》に達してはいかに猛勢の対手《あいて》もたちまち萎縮するより女根に大破殺力ありとしたので、惟《おも》うに琉球の墓も本に還るてふ意味と兼ねて死を標すために女根に象ったであろう。すべて生物学上から見ても心理学上から見ても生殖の業およびこれに偕《ともな》う感触がすこぶる死に近い。伊藤仁斎は死は生の極と説いたと聞くが、それより後に出た『相島《あいしま》流神相秘鑑』てふ人相学の書に交接は死の先駈《さきがけ》人間気力これより衰え始む、故にその時悲歎の相貌を呈すというように説きあったは幾分の理あり。『日本紀』一に伊弉冊尊《いざなみのみこと》火神を生む時|灼《や》かれて崩《みまか》りましぬ、紀伊国熊野の有馬村に葬る。『古事記』には火之迦具土神《ひのかぐつちのかみ》を生ますに御陰《みほと》炙《や》かれて崩りましぬ。尊を葬ったてふ花の窟または般若の窟土俗オ○コ岩と称う。高さ二十七間てふ巌《いわ》に陰相の窟を具う。先年その辺の人々『古事記』にこの尊を出雲|伯耆《ほうき》の堺|比婆之山《ひばのやま》に葬ったとあるは誤りで、論より証拠炙かれた局部が化石して現存すれば誰が何と言っても有馬村のが真の御陵だ、その筋へ運動して官幣大社にして見せるといきり切っていたがどうなったか知らぬが、この古伝に由ってわが上古また女陰と死の間に密接せる関係ありてふ想像が行
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