水準2−92−90]※[#「馬+余」、第4水準2−92−89]《とうと》と騨※[#「馬+奚」、第4水準2−93−1]《てんけい》ととある。奇畜とは、上代支那人が希有の物と見たのをいうので、ここにいえる騾は牡驢《おのろ》と牝馬《めうま》の間子《あいのこ》、※[#「馬+夬」、第4水準2−92−81]※[#「馬+是」、第4水準2−92−94]は牡馬と牝驢の間子で、いずれも只今騾(英語でミュール)で通用するが、詳細に英語を用うると、騾がミュールで、※[#「馬+夬」、第4水準2−92−81]※[#「馬+是」、第4水準2−92−94]がヒンニーに当る。ヒンニーの語源は、ギリシアのヒンノスとラテンのヒンヌスで、多分馬の嘶《いなな》きをニヒヒンなどいう邦語と同様のものだろう。それから英国の田舎で、たとえば錦城館のお富が南方君を呼ぶ時、わがヒンニーという。それは※[#「馬+夬」、第4水準2−92−81]※[#「馬+是」、第4水準2−92−94]を意味せず、蜂蜜(ハニー)より転訛したのだ。さて※[#「馬+淘のつくり」、第4水準2−92−90]※[#「馬+余」、第4水準2−92−89]と騨※[#「馬+奚」、第4水準2−93−1]は確かに知らねど、いずれも野馬と註あれば、上述のチゲタイやキャングや野小馬《ワイルド・ポニー》の連中だろう。この『史記』の文を見ると、驢は支那よりもまず北狄《ほくてき》間に最《いと》古く入ったので、かかる寒地によく繁殖したは、その時々野馬や野驢の諸種と混合して、土地相応の良種を生じたに依るだろう。学者の唱うるところ、家驢の原種は、今もアフリカに野生し、家驢と差《ちが》い前髪なし。それに背と肩に条あるヌビア産と、背と脚に条ある、ソマリ産の二流ある由。
上述のごとく現存の馬の種類が、馬とチゲタイとオナッガとグレヴィス・ゼブラとドー(本種亡び変種残る)とゼブラと驢と七つで、その上多少の変種もある。ただしこの諸種各々別ながら甚だ相近く、野生の時は知らず、飼い馴らしまたは囚え置くと異種交わって間子《あいのこ》を生む例少なからず。馬と驢は体の構造最も異に距たりいるが、容易に交わりて騾を生む。『漢書』に、亀茲《きゅうじ》王が漢に朝し、帰国後衣望服度宮室を、漢の風に改めたが、本物通りに出来ず。外国胡人皆|嘲《あざけ》って驢々《ろろ》にあらず、馬々《ばば》にあらず、亀茲王のごとき
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