二百年前本邦へ渡った事ありと知る。花驢は馬とも驢とも付かず、この二畜の間子《あいのこ》たる騾に酷《よく》似れば、騾の族と推察したは無理ならぬ。『食鑑』とアストレイを合せ攷《かんが》うるに、その時渡ったはドー(今絶ゆ)の変種、グランツ・ゼブラという種と見える。
 馬属の最後に列《つら》なるが驢で、耳が長い故、和名ウサギウマといい、『清異録』に長耳公てふ異名を出す。その諸国での名を少し挙げると、英語でアッスまたドンキイ、ラテンでアシヌス、露語でオショール、独語でエセル、ヘブリウでチャモール(牡)アトン(牝)、アラブでカマール、トルコでヒマール、梵語でラーサブハ等だ。このもの頭大に体大きな割合に脚甚だ痩せ短いから、迅く行く能わず。その蹄の縁極めて鋭く、中底に窪みあり、滑りやすき地を行き、嶮岨《けんそ》な山腹を登るに任《た》ゆ。これを概するに、荷を負う畜《けだもの》にもそれぞれ向々《むきむき》があって、馬は平原に宜《よろ》しく、象は藪林に適し、砂漠に駱駝、山岡に驢がもっともよく役に立つ。驢は荷を負うて最《いと》粗《あら》い途《みち》を行くに、辛抱強くて疲れた気色を見せず。ニービュールが、アラビアで見た体大きくて、悍《かん》の善い驢は、旅行用に馬よりも優《まさ》れば、したがって価も高い由。何方《いずかた》でも、通俗驢を愚鈍の標識のようにいえど、いわゆるその愚は及ぶべからずで、わざと痴《たわ》けた風をして見せ、人を笑わすような滑稽智に富む由、ウッドは言った。メッカでは驢を愛育飼養するにもっとも力めたので、その驢甚だ賢くなり、よくその主の語を聞き分ける故、主もまた自分の食を廃しても驢に食を与うという。プリニウスの説に、驢は寒を恐る、故にポンツスに産せず、また他の畜《けだもの》通り、春分を以て交わらしめず、夏至において交わらしむと。バートン言う、この説|理《ことわり》あり、驢は寒地で衰う、ただしアフガニスタンやバーバリーのごとく、夏長く乾き暑くさえあれば、冬いかに寒い地でも衰えずと。
 想うに、『史記』匈奴列伝に唐虞より、以上《かんつがた》山戎《さんじゅう》等ありて北蛮におり、畜牧に随って転移す、その畜の多きところは馬牛羊、その奇畜はすなわち駱駝と驢と騾と※[#「馬+夬」、第4水準2−92−81]※[#「馬+是」、第4水準2−92−94]《けってい》と※[#「馬+淘のつくり」、第4
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