いうも応ぜず、使は空《むな》しく還る。智馬は畜類だが知識人に過ぎ、能く臨機応変しまた人と語る。今使去るを見て瓦師に告《い》えらく、我を終身こんな貧家に留め、糠滓を食わせ、土を負わすべからず、わが本分は灌頂位《かんじょうい》を受けて百枚の金蓋《きんがい》その身を覆《おお》う刹利《せつり》大王をこそ負うべけれ、我食時には、雕物《ほりもの》した盆に蜜と粳米《うるしね》を和《ま》ぜて入れたのを食うべきだ、明日また使が来たらこう言いなさい、瓦師は物を識《し》らぬと侮って、智馬と知りながら知らぬ真似《まね》して凡馬の値で買うとは黠《ずる》い、誠《まこと》欲しいなら一億金出すか、僕の右足で牽き来り得る限り袋に金を入れてくれるかと言うべしと教えた。翌日大臣相馬人を伴れて掛合《かけあい》に来ると、瓦師馬の教えのままに答えたから評定すると、諸臣一同この瓦師は大力あるらしいから足で牽かせたら莫大《ばくだい》の金を取るだろう、いっそ一億金と定めるがよいと決議し王に白《もう》し、王それだけの金を遣わして馬を得、厩《うまや》に入れて麦と草を与えると食わず。王さては病馬かと言うと、掌馬人《うまかい》かの馬決して病まずと答え、厩へ往きて馬に対《むか》い、汝は瓦師方にありて碌に食料をくれず骨と皮ばかりに痩《や》せて困苦労働したるに、今国王第一の御馬に昇進しながら何を憂えて物を食わぬかと問うた。馬答うらく、我足|迅《はや》く心|驍勇《ぎょうゆう》で衆人に超《こ》えた智策あるは汝能く知る、しかるに愚人ら古法通りに我を待遇せぬ故活きいるつもりでないと。掌馬人これを聞いて王に勧め、古法通り智馬を遇せしめた。その法式は王城より三駅の間の道路を平らに治め、幡《はた》と蓋《かさ》で美々しく飾り、王|親《みずか》ら四種の兵隊を随えて智馬を迎え、赤銅の板を地に畳み上げて安置し、太子自ら千枝の金の蓋を※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]《ささ》げその上を覆い、王の長女金と宝玉で飾った払子《ほっす》で蚊や蠅を追い去り、国大夫人蜜を米に塗り金盤に盛り自ら※[#「敬/手」、第3水準1−84−92]げ持ちて食わせ、第一の大臣は一番貧乏|鬮《くじ》で親ら金の箕《み》を執りて智馬の糞を受けるのだ。王それでは馬を王以上に崇《あが》めるので大いにわが威を堕《おと》すと惟《おも》うたが、智馬が自分方におらぬとさっぱり自分の威がなく
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