》が起った。古ケルト人もっともこれを信じ、特別の白馬を公費もて神林中に蓄《か》い、大事あるに臨みこれを神車の直《じき》あとに随わしめ、その動作|嘶声《しせい》を察して神意を占うた。サキソン人も一白馬を神廟に蓄い、戦前祈祷してのち僧がこれを牽き出し、槍を逆さまに三列に立てたるを横ぎり歩ましむるに、右足まず踏み出せば勝利だが、左足まず出せば敗兆と断じ出陣を見合せた(コラン・ド・プランシー『妖怪字彙《ジクショネーランフェルナル》』四版二四二頁等)。本朝にも住吉は軍神たり、世に事あればそこに飼う神馬見えず。享徳二年八月伊勢、八幡、住吉三社の神馬同時に死す、応仁大乱の前表という(『和漢三才図会』七四)。大乱の初まりより十四年昔で、前表もこのように早手廻しではかえって間に合わぬ。「妹《いも》が門|出《いで》入《い》る河の瀬を早み、駒ぞ躓《つまず》く今恋ふらしも」人に恋《ほれ》らるる人の乗る馬は躓く由(『俊頼口伝集』上)。予など乗らぬが幸い、もし乗ったらけだし躓き通しだろう。
『郷土研究』一巻八号斎藤真氏説に、陸前の駒ヶ嶽、毎年消え残りの雪が白い奔馬形を現わす、これを見て年の豊凶を占う農夫もある由。『著作堂一夕話』に出た富士の残雪、宝永山辺|凹《くぼ》かな処に人形を成す年は豊年で、見えぬ年は凶作、これを農男と名づくとあるに似居る。『郷土研究』同巻九号で見ると、陸中と秋田境の駒形山も毎年雪解け時に、その八合目ほどの処に白馬踊る体を現ず。昔神がここへ乗り捨てた馬が故郷を恋うて顧み嘶くのだそうで、その姿を見て農家が農事を候《うかが》う。これらと相似れど、京都東山の大文字火同然人造に係る壮観が英国にある。そのバーク州の白馬《ホワイト・ホールス》というは、絶頂の高さ海抜八五六フィートある白馬山の北側|巓《いただき》より少し下に塹《ほ》り付けた長三七四フィート、深さおよそ二フィートの巨馬像で、面積二エーカーほどあり。『北※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]瑣談』二に東山に七月十六日の夜立つる大文字の火唐土にもなしと孔雀先生も書き置かれたり、横の一画二十九丈、左の画四十九丈二尺、右の画四十七丈七尺八寸、余も如意嶽《にょいがたけ》に上り、その穴を見しが広大なる物なりとあれば、日本の方が勝ちらしい。件《くだん》の馬像は、輪廓もっとも麁末《そまつ》ながら、表土を去って白堊を露わす故、下の谷から
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