眺むれば、十分馬跳ぬるところと見える。東山の大文字火は古え北辰を祭った遺風というが(『嬉遊笑覧』十)、この白馬像は由来分らず。アルフレッド大王がデーン人に大勝の記念物といえど、実はローマ人の英国占領よりも古いらしい。所の者どもたびたび像内へ草木が生え込むを抜き浄め、以前はその時|節会《せちえ》を設け種々の競戯し、近隣のみかは、英国中より勇士来集して土地の勇士と芸競べせしも、何となくやんでいまだ六十年にならぬ。
熊楠いう、これは我邦に多き駒形明神駒形石(『木曾路《きそじ》名所図会』信州塩灘駅条下に出《い》づ、『山島民譚集』一参照)と等しく、上世馬を崇拝した遺跡であるまいか。古欧州で馬崇拝の例、ギリシアの海大神ポセイドン、農の女神デメテル、いずれも本は馬形で、ガウル人は馬神ルジオブス、馬女神エポナを崇《あが》めた。欧州諸国で馬を穀物の精とする例多し。これ主に馬は農業に古くより使われたからだろう。またインドで曙光《しょこう》神アスヴィナウは、日神スリヤその妃サンニアと牡馬牝馬に化けて交わり生んだので三輪の驢車に乗り、日神自身は翡翠《かわせみ》色の七頭の馬に一輪車を牽かせて乗ると類似して、ギリシアの日神ヘリオスは光と火を息《いき》する四の雪白馬が牽く車に乗る(第六図[#図省略])。第七図[#図省略]は、デンマーク国古青銅器時代の青銅製遺物で、馬が日の車を牽くを示すらしく、その日に充《あ》てた円盤に、黄金を被せ、美なる螺旋状飾紋あり。
『風俗通』に、馬一匹という事、馬を度《はか》ると一匹長かった故とか、馬死んで売ると帛《きぬ》一匹得たからとか種々の説を列べた中に、〈あるいはいわく、馬は夜行くに目明るく前四丈を照らす、故に一匹という〉とある。それに劣らず怪しい説が西洋の俗間に行われ、馬の眼に物大きく見え、人も巨人と見えるから馬を御し能うという。それにどうしても人に従わぬ馬あるは、その眼の水晶体平らにて物大きく見えぬものか。しからば眼鏡を掛けさすがよい。ただし馬の眼果して物を大に視るとするも、何もかも皆廓大さるるから諸物大小の割合は少しも常態を外《はず》れず、人は馬の眼に依然他の馬より小さく見えるはずと論じた人あり(一九一六年六月二十四日の『随筆問答雑誌《ノーツ・エンド・キーリス》』五〇九頁)。この事は『安政三組盃』てふ講談筆記にもあれど、日本で伝うるところはやや西説と異なり、
前へ
次へ
全106ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング