に、すこぶる迂鈍《うどん》なるを見たと語った人あり。写真を頼むと安く受け合《い》れたが、六、七年も音沙汰を聞かぬ。
 野槌は最初神の名で、諾冉二尊が日神より前に生むところ、『古事記』に、野神名|鹿屋野比売《かやぬひめ》、またの名|野椎《ぬつち》の神という。『日本紀』に、草祖草野姫《くさおやかやぬひめ》またの名|野槌《のづち》と見えて草野の神だ。その信念が追々堕落する事、ギリシアローマの詩に彫刻に盛名を馳《は》せた幽玄絶美な諸神が、今日|藪沢《そうたく》に潜める妖魅に化しおわったごとくなったものか。『文選』の和訓には、支那の悪鬼|人間《じんかん》にありて怪害を作《な》すてふ野仲《やちゅう》をノヅチと訳した。それからちょうど古ギリシアローマの名神に、蛇妖となり下ったものあるように、野槌も草野の神から悪鬼、次に上述通りの異態な蛇を指す号《な》と移ったものか。
 今より千十余年前成った『新撰字鏡』に、蝮を乃豆知《のづち》と訓《よ》んだ。ほとんど同時に出来た『延喜式神名帳』、加賀に野蛟神社《のづちのやしろ》二所あり。『古事記伝』に拠れば、ノヅチは野の主の意らしい。予山中岸辺で蝮を打ち殺したつもりで苔など探し居ると、負傷した蝮が孑孑《ぼうふり》様に曲り動いて予の足もとに滑り落ち来れるに気付き、再び念入れて打ち絶やした事三、四回ある。したがって俗伝の野槌は、かように落ち来る蝮から生じた譚で、あるいは上世水辺の蛇を、ミヅチすなわち水の主、野山の蝮をノヅチ野の主と見立てたのかとも思う。ただし野槌に似た動物が、実際世界にないでなく、例せばウロペルチス(円盾《ペルタ》状の尾の義)の一族およそ四十種、南インドとセイロンに産す。山林の土中に棲み、眼至って小さく、両齶に歯あり、尾甚だ短く太く、斜めに截《き》り取られたようで、その端円盾のごとく、その表面|粗《あら》し。それを地に押し著けて歩く、その状あたかも古欧州の軍士が円盾を手で使い分けたごとく、わが邦人に解るように言うなら、塚原老翁が鍋蓋を以て宮本武蔵と立ち廻ったごとしだ。紀州でモッコクの木を食う蠹《きくいむし》に、ちょうど同様の尾を同様に使うのがあるが何というものか知らぬ。予はウロペルチスの生きたのを見た事なけれど、類推すると余り活溌なものでなかろうが、周章《あわて》る時は孑孑様に騒ぎながら、岸より落ちて人を驚かすほどの事はあろう。
 支
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