神が、体短く中太いというについて、必ず聯想さるるは、野槌《のづち》という蛇である。『沙石集』に叡山の二僧相約して、先立ちて死んだ方が後《おく》れた者にきっと転生《うまれかわ》り、所を告ぐべしといった後、まず死んだ僧が残った僧の夢に見えて、我は野槌に生まれたといった。それは希《まれ》に深山にある大きな獣で、目鼻手足なく口ばかりありて人を食う。これ名利を専らにして仏法を学び、口先のみ賢く、智の眼、信の手、戒の足一つもなかったから、かかるのっぺら坊に生まれたと出《い》づ。『和漢三才図会』には、これを蛇の属としいわく、〈深山木竅中これあり、大は径五寸、長《たけ》三尺、頭尾均等、而して尾尖らず、槌の柄なきものに似る、故に俗に呼びて野槌と名づく、和州吉野山中、菜摘川、清明の滝辺に往々これを見る、その口大にして人脚を噬《か》む、坂より走り下り、甚だ速く人を逐う、ただし登行極めて遅く、この故にもしこれに逢わば、すなわち急ぎ高処に登るべし、逐い著く能わず〉。『紀伊続風土記』に、ほとんど同様の事を記し、全身蝮のごとく、噛まば甚だ毒あり、牟婁郡山中稀に産す、『嶺南雑記』に、〈瓊州冬瓜蛇あり、大きさ柱のごとくして長《たけ》ただ二尺余、その行くや跳び躍る、逢々として声あり、人を螫《さ》し立ちどころに死す〉とあると同物だろうという。予が聞き及ぶところ、野槌の大きさ形状等確説なく、あるいは※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1−94−84]鼠《もぐらもち》様の小獣で悪臭ありというが、『沙石集』の説に近い。あるいは、長五、六尺で面桶《めんつう》ほど太く、頭が体に直角をなして附した状、槌の頭が柄に著いたごとしといい、あるいは長二尺ほどの短大な蛇で、孑孑《ぼうふり》また十手を振り廻すごとく転がり落つとも、馬陸《やすで》ごとく環曲《まがっ》て転下すともいい、また短き大木ごとき蛇で大砲を放下するようだから、野大砲《のおおづつ》と呼ぶ由を伝え、熊野広見川で実際見た者は、蝌斗《かえるこ》また河豚《ふぐ》状に前部肥えた物で、人に逢わば瞋《いか》り睨み、大口開きて咬まんとする態すこぶる滑稽《おどけ》たりといった。日高郡川又で聞いたは、この物|倉廩《くら》に籠《こも》る事往々ありと。また大和丹波市近処に捕え来て牀下《ゆかした》に畜《か》うと、眼小さく体|俵《たわら》のように短大となり、転がり来て握り飯を食う
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