り寄せて、朝夕これを撞きけるに、あへて少しも鳴らざりける間、山法師ども、悪《にく》し、その義ならば鳴るやうに撞けとて、鐘木《しもく》を大きに拵へて、二、三十人立ち掛りて、破《わ》れよとぞ撞きたりける、その時この鐘、海鯨《くじら》の吼《ほ》ゆる声を出して、三井寺へ往《ゆ》かふとぞ鳴いたりける、山徒いよ/\これを悪《にく》みて、無動寺《むどうじ》の上よりして、数千丈高き岩の上をば、転《ころ》ばかしたりける間、この鐘|微塵《みじん》に砕けにけり、今は何の用にか立つべきとて、そのわれを取り集めて、本寺へぞ送りける、ある時一尺ばかりなる小蛇来つて、この鐘を尾を以て扣《たた》きたりけるが、一夜の内にまた本の鐘になつて、疵《きず》付ける所|一《ひと》つもなかりけり云々。
この鐘に似た事、支那にてこれより前に記された。予が明治四十一年六月の『早稲田文学』六二頁に書いた通り、『酉陽雑俎』(蜈蚣《むかで》退治を承平元年と見てそれより六十八年前に死んだ唐の段成式著わす)三に、歴城県光政寺の磬石《けいせき》、膩光《つや》滴《したた》るがごとく、扣《たた》けば声百里に及ぶ、北斉の時、都内に移し撃たしむるに声出
前へ
次へ
全155ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング