丘《こんぴらびく》、讃岐に鎮座して賽銭を多く占《せしめ》る金毘羅大権現等で、仏典には多く蛟竜と訳し居る。
 支那で古く蛟と呼んだは『呂覧』に、※[#「にんべん+次」、第4水準2−1−42]飛《しひ》宝剣を得て江を渉る時二蛟その船を夾《はさ》み繞《めぐ》ったので、飛江に入って蛟を刺し殺す。『博物志』に孔子の弟子|澹台滅明《たんだいめつめい》璧《たま》を持って河を渡る時、河伯その璧を欲し二蛟をして船を夾ましむ。滅明左に璧右に剣を操って蛟を撃ち殺し、さてこんな目腐り璧はくれてやろうと三度投げ込んだ。河伯も気の毒かつその短気に恐縮し三度まで投げ帰したので、一旦《いったん》見切った物を取り納むるような男じゃねーぞと滅明滅多無性に力《りき》み散らし、璧を毀《こわ》して去ったと出づ。その頃右|体《てい》の法螺談《ほらばなし》大流行と見え、『呉越春秋』には椒丘※[#「言+斤」、第3水準1−92−1]《しょうきゅうきん》淮津《わいしん》を渡って津吏の止むるを聴かず、馬に津水を飲ます。津水の神果して馬を取ったので、※[#「言+斤」、第3水準1−92−1]|袒裼《たんせき》剣を持って水に入り、連日神と決戦し
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