鐘なり、その故は承平の頃俵藤太|秀郷《ひでさと》といふ者ありけり、ある時この秀郷、たゞ一人|勢多《せた》の橋を渡りけるに、長《たけ》二十丈ばかりなる大蛇、橋の上に横たはつて伏したり、両の眼は輝いて、天に二つの日を掛けたるがごとし、双《なら》べる角《つの》の尖《するど》にして、冬枯れの森の梢《こずえ》に異ならず、鉄《くろがね》の牙上下に生《お》ひ差《ちご》ふて、紅の舌|炎《ほのお》を吐くかと怪しまる、もし尋常《よのつね》の人これを見ば、目もくれ魂消えて、すなはち地にも倒れつべし、されども秀郷、天下第一の大剛の者なりければ、更に一念も動ぜずして、彼《かの》大蛇の背《せなか》の上を、荒らかに踏みて、閑《しずか》に上をぞ越えたりける、しかれども大蛇もあへて驚かず、秀郷も後を顧みずして、遥《はる》かに行き隔たりける処に、怪しげなる小男一人、忽然《こつぜん》として秀郷が前に来《きたつ》ていひけるは、我この橋の下に住む事すでに二千余年なり、貴賤往来の人を量り見るに、今|御辺《ごへん》ほどに剛なる人いまだ見ず、我に年来《としごろ》地を争ふ敵あつて、動《やや》もすれば彼がために悩まさる、しかるべくは御辺
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