罪悪の標識、天魔の印相とする風今に変らざる由を述べていわく、中世|異端《ヘレシー》を竜に比し、シギスモンド帝はジョン・フッスの邪説敗れた祝いに、伏竜てふ位階を新設した。また中世地獄を画くに、口を開き火を吐く竜とした。悪魔を標識せる竜の像を祭会《まつり》の行列に引き歩く事も盛んで、ルアンのガーグイユ竜などもっとも高名だ。かかる竜の像は追々その本旨を忘れ、古ギリシアの善性竜王《ドラコンテス》同様、土地の守護神ごときものに還原され了《しま》ったとは、わが邦諸社の祭礼に練り出す八岐大蛇《やまたのおろち》が本《もと》人間の兇敵と記憶されず、災疫を禳《はら》い除くと信ぜらるるに同じ。また天文に竜宿《ドラコ》なるは、その形蛇に似たから名づけたらしいが、ギリシアの神誌にヘラクレスに殺されて竜天に上りてこの星群となったというと。熊楠いわく、インドでも〈柳宿は蛇に属す、形蛇のごとし、室宿は蛇頭天に属す、また竜王身光り憂流迦《うるか》といい、ここには天狗と言う〉。日本で天火、英国で火竜《ファイアドレーク》と言い、大きな隕石《いんせき》が飛び吼《ほ》えるのだ。その他支那で亢宿《こうしゅく》を亢金竜と呼ぶなど、星を竜蛇と見立てたが多い。それから『聖書《バイブル》』にヨハネが千年後天魔獄を破り出て、世界四隅の民を惑わすと言ったを誤解して、紀元一千年が近くなった時全欧の民大騒ぎせし事、明治十四年頃世界の終焉《おわり》が迫り来たとて、わが邦までも子婦《よめ》を取り戻したり、身代を飲み尽くした者あったに異ならず。その時欧州に基督敵《アンチ・クリスト》現出して世界を惑乱させ、天下|荒寥《あれすさ》むといい、どこにもここにも基督敵産まれたといって騒いだ。その法敵も多く竜の性質形体を帯びた物だった(『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』巻三)。第三図は、この法敵とキリストと闘うところだ。またそれに次いで大流行だった如安《ジャン》法王の伝というは、九世紀に若僧と掛落《かけおち》した男装の女が大学者となって、ついにレオ四世に嗣《つ》いで、ローマ法王となり、全く男と化けて世を欺きいた内、従僕の子を姙みし天罰で、あろう事か街の上に産み落したその場で死に、その子は世界終る時|出《い》づべき法敵として魔が取り去ったそうだ。この女は死して地獄に落ちるので地獄を竜の口としある(ベーリング・グールド『中世志怪』)。基督敵《アンチ・クリスト》同前の説が仏教にもありとはお釈迦様でも気が付くまい。すなわち『大法炬陀羅尼経』に、悪世にこの世界|所有《あらゆる》悪竜大いに猛威を振い、毒蛇遍満して毒火を吐き人畜を螫《さ》し殺し、悪人悪馬邪道を行い悪行を専らにすと説かれた。
[#「第3図 1493年版アンチ・クリストの世の図」のキャプション付きの図(fig1916_03.png)入る]
竜の起原と発達
一八七六年版ゴルトチッヘルの『希伯拉鬼神誌《デル・ミスト・バイ・デン・ヘブレアーン》』に、『聖書』にいわゆる竜は雲雨暴風を蛇とし、畏敬《いけい》せしより起ると解いた。アラビア人マスージー等の書に見る海蛇(『聖書』の竜《タンニン》と同根)は、その記載旋風が海水を捲《ま》き上ぐる顕象たる事明白で、それをわが国でも竜巻といい、八雲立《やくもたつ》の立つ同様下から立ち上るから竜をタツと訓《よ》み、すなわち旋風や竜巻を竜といったと誰かから聞いた。支那やインドで竜王を拝して雨を乞うたは主《おも》にこれに因ったので、それより衍《ひ》いて諸般の天象を竜の所為《しわざ》としたのは、例せば『武江年表』に、元文二年四月二十五日|外山《とやま》の辺より竜出て、馬場下より早稲田町通りを巻き、人家等損ずとあるは、明らかに旋風で、『新著聞集』十八篇高知で大竜家を破ったとか、『甲子夜話』三十四江戸大風中竜を見たなど、いずれも竜巻を虚張《こちょう》したのだ。『夜話』十一に、深夜烈風中竜の炯眼《ひかるめ》を見たとは、かかる時電気で発する閃光だろう。『熊野権現宝殿造功日記』新宮に竜落ちて焼けたとあるは前述天火なるべく、『今昔物語』二十四雷電中竜の金色の手を見て気絶した譚は、その人臆病抜群で、鋭い電光を見誤ったに相違ない。『論衡《ろんこう》』に雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘って雹《ひょう》を降らす、『歴代皇紀』に、伝教《でんぎょう》入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎利を竜衆に施すとたちまち息《や》んだと出づ。ベシシ人は竜を有角大蛇とし、地竜海竜と戦い敗死し天に昇りて火と現ずるが虹なりと信ず(スキートおよびブラグデン『巫来半島異教民族篇《ペーガン・レーセス・オヴ・ゼ・マレー・ペニンシュラ》』二)。東京《トンキン》人は月蝕を竜の所為
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