ナ》』を見ると、その頃既に仏国でも、竜は詰まらぬ河童様の怪魅と為《な》りおり、専ら水中に住み、人に化けて市へ出るが別に害をなさず、婦女童児水浴びるを覗い、金環金盃に化けて浮くを採りに懸るところを引き入れて自分の妻に侍せしむとあり。また男を取り殺した例も出でおる。わが国に古くミヅチなる水の怪《ばけもの》あり。『延喜式』下総《しもうさ》の相馬《そうま》郡に蛟※[#「虫+罔」、168−5]《みづち》神社、加賀に野蛟《のづち》神社二座あり。本居宣長はツチは尊称だと言ったは、水の主《ぬし》くらいに解いたのだろ、また柳田氏は槌《つち》を霊物とする俗ありとて、槌の意に取ったが、予は大蛇をオロチ、巨蟒をヤマカガチと読むなどを参考し、『和名抄』や『書紀』に、蛟《こう》や※[#「虫+礼のつくり」、第3水準1−91−50]《きゅう》いずれも竜蛇の属の名の字をミヅチと訓《よ》んだから、ミヅチは水蛇《みずへび》、野蛟《のづち》は野蛇《のへび》の霊異なるを崇《あが》めたものと思う。今も和泉、大和、熊野に野槌と呼ぶのは、尾なく太短い蛇だ(『東京人類学会雑誌』二九一号の拙文を見よ)。その蛟《みづち》が仏国の竜《ドラク》同様変遷したものか今日河童を加賀、能登でミヅチ、南部でメドチ、蝦夷《えぞ》でミンツチと呼ぶ由、また越後《えちご》で河童|瓢箪《ひょうたん》を忌むという(『山島民譚集』八二頁)。『書紀』十一に、武蔵人と吉備中国《きびのなかつくに》の人が、河伯《かわのかみ》また大※[#「虫+礼のつくり」、第3水準1−91−50]《みづち》に瓠《ひさご》を沈めよと註文せしに沈め得ず、由ってその偽神なるを知り、また斬り殺した二条の話あるを見ると、竜類は瓢を沈め能わぬ故、忌むとしたのだ。日本に限らぬと見えて、『西域記』にも凌山氷雪中の竜瓢を忌むとある。ビール言う、瓢に容れた水凍りて瓢を裂く音大なるを忌むのだとは迂遠に過ぎる。それらまさかこの禁忌の源《もと》であるまいが、一九〇六年版ワーナーの『英領中央亜非利加土人篇《ゼ・ネチブス・オブ・ブリチシュ・セントラル・アフリカ》』に、シレ河辺※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]害殊に多い処々で、婦女水を汲みに川に下りず、高岸上より長棒の端に付いた瓢箪で汲むから、その難に逢わぬとは、竜や※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に取りて瓢は重々不倶戴天の仇と見える。
フィリップ氏また竜が守護神たり怖ろしい物たるより、古く武装に用いられた次第を序し、ホメロスの詩に見えたアガメムノンの盾に三頭《みつがしら》の竜を画き、ローマや英国で元帥旗に竜を用いたり、ノールス人が竜頭の船に乗った事などを述べ居るが、今長く抄するをやめ、一、二氏の言わぬところを補わんに、古エジプト人は、ウレウス蛇が有益なるを神とし、日神ラーはこの蛇二頭を、他の多くの神や諸王は一頭を前額《ひたい》に戴《いただ》くとした(バッジ『埃及諸神譜《ゼ・ゴッズ・オヴ・ゼ・エジプチアンス》』二、三七七頁)。仏教の弁財天や諸神王竜王が額や頭に竜蛇を戴く、わが邦の竜頭《たつがしら》の兜《かぶと》はこれらから出たものか。支那にも『類函』二二八に、竜を盾に画く、〈また桓元《かんげん》竜頭に角を置く、あるいは曰くこれ亢竜《こうりゅう》角というものなり〉。盾や喇叭《らっぱ》を竜頭で飾ったのだから、兜を同じく飾った事もあるべきだが、平日調べ置かなんだから、喇叭も吹き得ぬ、いわんや法螺《ほら》においてをやだ。
ただしエリスの『古英国稗史賦品彙《スペシメンス・オヴ・アーリー・イングリッシュ・メトリカル・ローマンセス》』二版一巻六二頁に、古ブリトン王アーサーの父アサー陣中で竜ごとき尾ある彗星を見、術士より自分が王たるべき瑞兆と聞き、二の金竜を造らせ、一をウィンチェスターの伽藍に納め、今一を毎《つね》に軍中に携えた。爾来竜頭アサーと呼ばれた。これ英国で竜を皇旗とする始まりで、先皇エドワード七世が竜を皇太子の徽章《しるし》と定めた。さてアサー、ロンドンに諸侯を会した宴席で、コーンウォール公ゴーロアの美妻イゲルナに忍ぶれど色に出にけりどころでなく、衆人の眼前で、しきりに艶辞を蒔《ま》いたを不快で、かの夫妻退いて各一城に籠《こも》り、王これを攻むれど落ちず。術士メルリン城よりもまず女を落すべく王に教え、王ゴーロアの偽装で入城してイゲルナを欺き会いて、その夜アーサー孕《はら》まる。次いでゴーロア戦死し、王ついにイゲルナを娶《めと》り、これもほどなく戦死、アーサー嗣《つ》ぎ立て武名を轟かせしが、父に倣《なろ》うてか毎《つね》に竜を雕《ほ》った金の兜を着けたとあれば、英国でも竜を兜に飾った例は、五、六世紀の頃既にあったのだ。
フィリップ氏またキリスト教法で竜を
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