だ。このほか仏経の諸竜の名を調べたら諸種の蜥蜴を意味せるが多かろうが、平生飲む方に忙しき故、手を着けなんだ。それから今の学者が飛竜《ドラゴ》と呼び、インドのマドラスや後インドに二十種ばかり産する蜥蜴ありて、長《たけ》十インチ以内で脇骨が長くて皮膜を被り、伸縮あたかも扇様で清水《きよみず》の舞台から傘さして飛び下りるごとく、高い処から斜に飛び下りること甚だ巧《うま》い。全く無害のものだが、われらごとき大飲家は再従兄弟《ふたいとこ》までも飲みはしないかと疑わるるごとく、蜥蜴群に毒物と言わるるものが多いからこれも憂《うき》には洩《も》れぬわが身なりけりで、十六世紀に航海大家マゼランと一所に殺されたバルボサの航海記に、マラバル辺の山に樹から樹へ飛ぶ翼ある蛇あり、大毒ありて近づくものを殺すとあるは、覿切《てっきり》この物の訛伝だ(一五八八年版ラムシオ『航海旅行記全集《ナヴィガショニ・エ・ヴィアッジ》』一巻三〇〇葉)。マレー半島のオーラン・ラウト人信ずらく、造物主|人魂《たましい》を石に封じ、大盲飛竜して守らしむ。その乾児《こぶん》がかの地に普通の飛竜で毎《いつ》も天に飛び往き、大盲飛竜より人魂を受けて新産の児輩《こども》に納《い》れる。故に一疋でも飛竜を殺さば、犯人子を産んでも魂を納れてくれぬとてこれを殺さず。またこの飛竜能く身を※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]に変じ、大盲飛竜の命令次第人を水に溺らせ殺すという(スキートおよびブラグデン、二巻二七頁)。支那の応竜始め諸方の翼ある竜の話は、過去世のプテロダクチルスなど有翼蜥蜴の譚を伝え、化石を見て生じたという人もあれど、予はこの現存する飛竜てふ蜥蜴に基づいたものと惟《おも》う。インドで蜥蜴を見て占う事多く、タミル語の諺に「全村の吉凶を予告する蜥蜴が汁鍋に堕《お》ちた」というは、まずはわが「陰陽師身の上知らず」に似て居る(一八九八年『ベンガル亜細亜協会雑誌』六八巻三部一号五一頁)。カンド人は、誓言に蜥蜴の皮を援《ひ》いて証とす(バルフォール『印度事彙《ゼ・サイクロベジア・オヴ・インジア》』三版二巻七三〇頁)。いずれも以前蜥蜴を崇拝した遺風であろう(紀州日高郡|丹生《にゅう》川で、百年ばかり昔淋しい川を蜥蜴二匹上下に続いて游《およ》ぎ遊ぶを見、怖れて逃げ帰りしを今に神異と伝え居る)。それから前文中しば
前へ 次へ
全78ページ中49ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング