アフリカのウォロフ人は、蜥蜴を家神として日々牛乳を供え、マダガスカル人もこれを守護神とした(『エンサイクロペジア・ブリタンニカ』巻二、九、二八)。近世ギリシアでは、ストイキア神夜家や野などに現ずる時、あるいは蛇あるいは蜥蜴あるいは小さき黒人たり(ライト『中世論集《エッセイス・オン・ゼ・ミドル・エージス》』一巻二八六頁)。蜥蜴の最も尊ばれたは太平洋諸島で、ポリネシア人これを神とし、人間の祖とし、斎忌の標識は専ら蜥蜴と鮫だ(ワイツおよびゲルランド『未開民史《ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル》』巻六)。フィジー島では、地震神の使物を大蜥蜴とし、マオリ人は蜥蜴神マコチチ、人を頭痛せしむと信ず。ニューヘブリデスの伝説に、造物主初め人を四脚で、豚を直立して行《ある》かしめた。諸鳥と爬虫類これを不快で集会す。その時一番に蜥蜴、人と豚の行きぶりを変ずべしというと、鶺鴒《せきれい》は元のままで好いと主張した。蜥蜴直ちに群集を押し潜《くぐ》り、椰樹《やしのき》に登って豚の背に躍び下りると、豚前脚を地に著《つ》けた、それより豚が四脚、人は直立して行《ある》く事になったという(ラツェル『人類史《ゼ・ヒストリー・オヴ・マンカインド》』英訳、一)。メラネシア人は、蜥蜴家に入れば死人の魂が帰ったという(一九一三年版フレザー『不死の信念《ゼ・ビリーフ・イン・インモータリチー》』一巻三八〇頁)。アフリカのズールー人言う、太初大老神ウンクルンクル※[#「虫+堰のつくり」、第4水準2−87−63]蜒《カメレオン》を人間に遣わし、人死せざれと告げしめしに、このもの怠慢《なまけ》て途上の樹に昇り睡る。神また考え直して蜥蜴を人間に遣《や》り人死すべしと告げしむると、直ぐ往ってそう言って去った跡へ※[#「虫+堰のつくり」、第4水準2−87−63]蜒やっと来て人死せざれと言ったが間に合わず、先に蜥蜴から人死すべしと聞いたから、人間皆死ぬ事となった。それからズールー人が思い思いになって、あるいは蜥蜴が迅く走って、死ぬといって来たと恨んで見当り次第これを殺し、あるいは※[#「虫+堰のつくり」、第4水準2−87−63]蜒が怠慢《なまけ》て早く好報を齎《もたら》さざりしを憤って、烟草《タバコ》を食わせ、身を諸色に変じ、悩死するを見て快と称う。南洋ヴァトム島人話すは、ト・コノコノミャンゲなる者、二少年に火を取り来らば死せ
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