痕跡を止め、英仏等の盲虫《ブラインド・オルム》、アジアやアフリカの両頭蛇《アムフィスパイナ》は、全く足なく眼もちょっと分らぬ。『類函』四四八に、〈黄州に小蛇あり、首尾|相《あい》類《たぐ》う、因って両頭蛇という、余これを視てその尾端けだし首に類して非なり、土人いわくこの蛇すなわち老蚯蚓の化けしところ、その大きさ大蚓を過ぎず、行は蛇に類せず、宛転《えんてん》甚だ鈍し、またこれを山蚓という〉。『燕石雑志』に、日向の大|蚯蚓《みみず》空中を飛び行くとあるは、これを擬倣したのか。とにかく蜥蜴が地中に棲んで蚯蚓《みみず》様に堕落したのだが、諸色|交《こもご》も横条を成し、すこぶる奇麗なもある。『文字集略』に、※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]《ち》は竜の角なく赤白蒼色なるなりと言った。※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]わが邦でアマリョウと呼び、絞紋《しぼりもん》などに多かる竜を骨抜きにしたように軟弱な怖ろしいところは微塵《みじん》もない物は、かかる身長く脚と眼衰え、退化した蜥蜴諸種から作り出されたものと惟う。したがって上述の諸例から推すと、西洋で専ら竜を二足としたのも、実拠なきにあらず、かつ竜既に翼ある上は鳥類と見立て、四足よりも二足を正当としたらしい。支那で応竜を四足に画いた例を多く見たが、邦俗これを画くに、燕を背から見た風にし、一足をも現わさぬは、燕同様短き二足のみありという意だろう。
 一三三〇年頃仏国の旅行僧ジョルダヌス筆、『東方驚奇編《ミラビリア・デスクリプタ》』にいわく、エチオピアに竜多く、頭に紅玉《カルブンクルス》を戴《いただ》き、金沙中に棲み、非常の大きさに成長し、口から烟状の毒臭気を吐く、定期に相集まり翼を生じ空を飛ぶ。上帝その禍を予防せんため、竜の身を極めて重くし居る故、みな楽土より流れ出る一《ある》河に陥《お》ちて死す、近処の人その死を覗《うかが》い、七十日の後その尸《しかばね》の頭頂《いただき》に根生《ねざし》た紅玉を採って国の帝に献《たてまつ》ると。十六世紀のレオ・アフリカヌス筆、『亜非利加記《アフリカイ・デスクリプチオ》』にいう、アトランテ山の窟中に、巨竜多く前身太く尾部細く体重ければ動作労苦す、頭に大毒あり、これに触れまた咬まれた人その肉たちまち脆《もろ》くなりて死すと。すべて※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」
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