、第3水準1−94−55]《がく》や大蛇諸種の蜥蜴など、飽食後や蟄伏中に至って動作遅緩なるより、竜身至って重してふ説も生じたであろう。インド、セイロン、ビルマ等の産、瓔珞蛇《ダボヤ》は長《たけ》五尺に達する美麗な大毒蛇だが、時に街中《まちなか》車馬馳走の間に睡りて毫《ごう》も動かず、いささかも触るれば、急に起きて人畜を傷つけ殺す(サンゼルマノ『緬甸帝国誌《ゼ・バーミース・エンパイヤー》』二十一章)。仏|竹園《ちくおん》で説法せし時、長老比丘衆中を仏の方向き、脚を舒《の》べて睡るに反し、修摩那比丘はわずかに八歳ながら、端坐しいた。仏言う、説法の場で眠る奴は死後竜に生まれる。修摩那は一週間|経《た》ったら四神足を得べしと(『長阿含経《じょうあごんぎょう》』二十二)。また給孤独園《ぎっこどくおん》で新たに出家した比丘が、坐禅中睡って房中に満つる大きさの竜と現われた、他の比丘これを見て声を立てると、竜眼を覚ましまた比丘となりて坐禅する。仏これを聞いて竜の性睡り多し、睡る時必ず本形を現わすものだと言いて、竜比丘を召し、説法して竜宮へ還し、以後竜の出家を許さなんだ(『僧護経』)。『類函』四三八に、王趙|方《かた》へ一僧来り食を乞い、食|訖《おわ》って仮寝《うたたね》する鼾声夥しきを訝《いぶか》り、王出て見れば竜睡りいた。寤《さ》めてまた僧となり、袈裟一枚大の地を求むるので承知すると、袈裟を舒《の》ばせば格別大きくなる。かくて広い地面を得て、大工を招き大きな家を立てると、陥って池となり、竜その中に住む。御礼に接骨方《ほねつぎのほう》を王氏に伝え、今も成都で雨乞いに必ず王氏の子孫をして池に行き乞わしむれば、きっと雨ふるとある。これは、『阿育《アソカ》王伝』の摩田提《マジアンチカ》尊者が大竜より、自分一人坐るべき地を乞い得て、その身を国中に満たして※[#「よんがしら/(厂+(炎+りっとう))」、第4水準2−84−80]賓国《けいひんこく》を乗っ取った話(『民俗』二年一報、予の「話俗随筆」に類話多く出《い》づ)、また柳田君の『山島民譚集』に蒐《あつ》めた、河童《かっぱ》が接骨方を伝えた諸説の原話らしい、『幽明録』の河伯女《かはくのむすめ》が夫とせし人に薬方三巻を授けた話などを取り雑《ま》ぜた作と見ゆ。とにかくかようの譚は、瓔珞蛇《ダボヤ》など好んで睡る爬虫に基づいたであろう。熱帯地で極
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