六〇〇年パリ版、フランシスコ・コルムナのポリフィルスの題号画中の竜と蝮と相討ちの図だが、ことごとく竜を二脚として居る。この相討ちに似た事、一九〇八年版スプールスの『アマゾンおよびアンデス植物採集紀行』二巻一一八頁に、二尺|長《たけ》の※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]が同長の蛇を嚥《の》んだところを、著者が殺し腹を剖《さ》くと、蛇なお活《い》きいたとあるし、十六世紀にベスベキウス、かつて蛇が蝦蟆《がま》を呑み掛けたところを二足ある奇蛇と誤認したと自筆した(『土耳其紀行《トラヴェルス・インツー・ターキー》』一七四四年版、一二〇頁)。マレー人は、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の雄は腹の外の皮が障《さわ》る故、陸に上れば後二脚のみで歩むと信ず(エップの説、『印度群島および東亜細亜雑誌《ゼ・ジョーナル・オブ・ゼ・インジアン・アーキペラゴ・エンド・イースターン・アジア》』五巻五号)、過去世のイグアノドン、予がハヴァナの郊外で多く見たロケーなど、蜥蜴類は長尾驢《カンガルー》のごとく、尾と後の二脚のみで跳《は》ね歩き、跂《は》い行くもの少なからず、従《よ》ってスプールスが南米で見た古土人の彫画《ほりえ》に、四脚の蜥蜴イグアナを二脚に作《し》たもあった由。
[#「第1図 14世紀写本の竜画」のキャプション付きの図(fig1916_01.png)入る]
[#「第2図 1600年版 竜と蝮の咬み合い」のキャプション付きの図(fig1916_02.png)入る]
また『蒹葭堂雑録』に、わが邦で獲た二足の蛇の図を出せるも、全くの嘘《うそ》蛇《じゃ》ないらしい。ワラス等が言った通り、※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]や諸蜥蜴が事に臨んで、前二脚のみで走り、またいっそ四脚皆用いず、腹と尾に力を入れて驀《まっしぐ》らに急進するが一番|迅《はや》い故、専らその方を用いた結果、短い足が萎靡《いび》してますます短くなる代りに、躯が蛇また蚯蚓《みみず》のごとく長くなり、カリフォルニアとメキシコの産キロテス属など、短き前脚のみ存し、支那、ビルマ、米国等の硝子蛇《グラス・スネーク》や、濠州地方のピゴプス・リアリス等諸属は前脚なくて、後脚わずかに両《ふたつ》の小刺《こはり》、また両《ふたつ》の小鰭《こひれ》となって
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