わち敗亡す〉、これ古人が日熱や地温が自ずから卵を孵すに気付かず、専ら親の念力で暖めると誤解するに因る)、〈雄上風に鳴き、雌下風に鳴く、風に因りて化す〉(親の念力で暖め、さて雄雌の鳴き声が風に伴《つ》れて卵に達すれば孵るのだ、『類函』四三八に、竜を画《えが》く者の方《かた》へ夫婦の者来り、竜画を観《み》た後、竜の雌雄|状《さま》同じからず、雄は鬣《たてがみ》尖り鱗《うろこ》密に上《かみ》壮《ふと》く下《しも》殺《そ》ぐ、雌は鬣円く鱗薄く尾が腹よりも壮《ふと》いといい、画師不服の体を見て、われらすなわち竜だから聢《たしか》に見なさいといって、雌雄の竜に化《な》って去ったと出《い》づ、同書四三七に、斉の盧潜竜鳴を聞いて不吉とし城を移すとあり、予も鰐鳴を幾度も聞いた)、〈その交《つる》むときはすなわち変じて二小蛇と為《な》る、竜の性粗猛にして、美玉|空青《ぐんじょう》を愛《め》づ、喜んで燕肉を嗜む(ローランの『仏国動物俗談《フォーン・ポピュレール・ド・フランス》』巻二、三二二頁に、仏国南部で燕が捷く飛び廻るは竜に食わるるを避けてなりと信ぜらるとある)、鉄および※[#「くさかんむり/罔」、146−2]草《もうそう》蜈蚣|楝葉《せんだんのは》五色糸を畏る、故に燕を食うは水を渡るを忌み、雨を祀るには燕を用う、水患を鎮むるには鉄を用う、『説文』に竜春分に天に登り、秋分に淵に入る〉。
 支那に劣らずインドまた古来竜を神視し、ある意味においてこれを人以上の霊物としたは、諸経の発端|毎《つね》に必ず諸天神とともに、諸竜が仏を守護聴聞する由を記し、仏の大弟子を竜象に比したで知れる。『大方等日蔵経』九に、〈今この世界の諸池水中、各《おのおの》竜王ありて停止《とどま》り守護す、娑伽羅等八竜王のごときは、海中を護り、能く大海をして増減あるなからしむ、阿奴駄致《あぬたっち》等四竜王、地中を守護し、一切の河を出だす、流れ注ぎて竭きることなし、難陀《なんだ》優波難陀《うばなんだ》二竜王、山中を守護するが故に、諸山の叢林鬱茂す云々、毘梨沙《びりしゃ》等、小河水にて守護を為す〉。それから諸薬草や地や火や風や樹や花や果や、一切の工巧《てわざ》や百般の物を護る諸竜の名を挙げおり、『大灌頂神呪経《だいかんじょうしんじゅきょう》』に三十五、『大雲請雨経』に百八十六の竜王を列《なら》べ、『大方等大雲経』には三万八千
前へ 次へ
全78ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング