4]《あ》う能わず、また何ぞ老※[#「耳+(冂<はみ出た横棒二本)」、第3水準1−90−41]を規さんや(『荘子』)。『史記』には、〈孔子|去《ゆ》きて弟子にいいて曰く、鳥はわれその能く飛ぶを知り、魚はわれその能く游《およ》ぐを知り、獣はわれその能く走るを知る。走るものは以て罔《あみ》を為すべし、游ぐものは以て綸《いと》を為すべし、飛ぶものは以て※[#「矢+曾」、第4水準2−82−26]《いぐるみ》を為すべし。竜に至ってわれ知る能わず、その風雲に乗りて天に上るを。われ今日老子に見《まみ》ゆ、それなお竜のごときか〉とある、孔子ほどの聖人さえ竜を知りがたき物としたんだ。されば史書に、〈太昊《たいこう》景竜の瑞あり、故に竜を以て官に紀す〉、また〈女※[#「女+咼」、第3水準1−15−89]《じょか》黒竜を殺し以て冀州《きしゅう》を済《すく》う〉、また〈黄帝は土徳にして黄竜|見《あらわ》る〉、また〈夏は木徳にして、青竜郊に生ず〉など、吉凶とも竜の動静を国務上の大事件として特筆しおり、天子の面を竜顔に比し、非凡の人を臥竜と称えたり。漢高祖や文帝や北魏の宣武など、母が竜に感じて帝王を生んだ話も少なからず。かくまで尊ばれた支那の竜はどんな物かというに、『本草綱目』の記載が、最《いと》要を得たようだから引こう。いわく、〈竜形九似あり、頭駝に似る、角鹿に似る、眼鬼に似る、耳牛に似る、項蛇に似る、腹蜃に似る(蜃は蛇に似て大きく、角ありて竜状のごとく紅鬣、腰以下鱗ことごとく逆生す)、鱗鯉に似る、爪鷹に似る、掌虎に似るなり、背八十一鱗あり、九々の陽数を具え、その声銅盤を戞《う》つがごとし、口旁に鬚髯あり、頷下に明珠あり、喉下に逆鱗あり、頭上に博山あり、尺水と名づく、尺水なければ天に昇る能わず、気を呵して雲を成す、既に能く水と変ず、また能く火と変じ、その竜火湿を得ればすなわち焔《も》ゆ、水を得ればすなわち燔《や》く、人火を以てこれを逐えばすなわち息《や》む、竜は卵生にして思抱す〉(思抱とは卵を生んだ親が、卵ばかり思い詰める力で、卵が隔たった所にありながら孵《かえ》り育つ事だ。インドにもかかる説、『阿毘達磨倶舎論《あびだつまくしゃろん》』に出《い》づ、いわく、〈太海中大衆生あり、岸に登り卵を生み、沙内に埋む、還りて海中に入り、母もし常に卵を思えばすなわち壊《こぼ》たず、もしそれ失念すれば卵すな
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