となった。夜前伏羲を断わった隣の富家の婦聞いて大いに羨《うらや》むと、数月の後伏羲また村へ来た、かの婦|強《し》いて自宅へ迎え取り食を供し、夜中自室へ蝋燭|点《とも》し通夜仕事すると見せ掛け、翌朝|予《かね》て拵え置いた襦袢を呈し、食を供えて送り出すと、伏羲前度のごとく祝した。悦んで帰宅の途中、布を度《さ》す事のみ念じて宅へ入る刹那《せつな》、自家の飼牛が吼《ほ》える、水を欲しいと見える、布を量る前に水を遣らんと水を汲んで桶から槽《ふね》に移すに、幾時経っても、桶一つの水が尽きず、夥しく出続き家も畠も沈み、牛畜溺死し、村民大いに怒り、かの婦わずかに身を以て免《のが》れたとある。
一六一〇年頃出たベロアル・ド・ヴェルヴィルの『上達方《ル・モヤン・ド・パーヴニル》』三九章にも似た話あって遥《ずっ》と面白い。いわくマルサスのバラセ町へ貧僧来り、富家に宿を求めると、主婦無情で亭主|慳貪《けんどん》の由言って謝絶した。次に貧家へ頼むと、女房至誠懇待到らざるなかったので、翌朝厚く礼を述べ、宿銭持たぬは残念と言うと、金が欲しさに留めたでないと言う、因って神に祈って、汝が朝し始めた事は何でも晩まで続くべしと祝して去った、女房一向気に留めず、昨日拡げ置いた布を巻き掛けると、巻いても巻いても巻き尽きず、手が触《さわ》るごとに殖えて往く、ところへかの僧を門前払いにした婦やって来て、仔細を聞き、追い尋ねてやっとかの僧を見附け、わが夫の性がころりと改まったから、今夜|情願《どうぞ》拙宅へと勧めると、勤行《ごんぎょう》が済み次第参ろうとあって、やがてついて一泊し、明朝出立に臨み前夜通りの挨拶の後、僧また汝が朝始めた業は昏《くれ》まで続くべしと言って去った。待ってましたと、大忙《おおいそ》ぎで下女に布を持ち来らしめ、度《さし》に掛かろうとすると、不思議や小便たちまち催して、忍ぶべうもあらず、これは堪《たま》らぬ布が沾《ぬれ》ると、庭へ飛び下りて身を屈《かが》むる、この時遅くかの時早く、行《ゆく》尿《しし》の流れは臭くして、しかも尋常の水にあらず、淀《よど》みに浮ぶ泡沫《うたかた》は、かつ消えかつ結びて、暫時《しばし》も停《とど》まる事なし、かの「五月雨《さみだれ》に年中の雨降り尽くし」と吟《よ》んだ通り、大声※[#「口+曹」、第3水準1−15−16]々|驟雨《ゆうだち》の井を倒《さかさ》にする
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