しく剥《は》げたるを補うた功徳で、今生金の大小便ばかり垂れ散らす象を得たとあるが、どんな屁を放《ひ》ったか説いていない(『賢愚因縁経』十二)。
『今昔物語』六に、天竺《てんじく》の戒日王、玄奘三蔵に帰依して、種々の財を与うる中に一の鍋あり、入りたる物取るといえども尽きず、またその入る物食う人病なしと見えるが、芳賀博士の参攷本に類話も出処も見えず、予も『西域記』その他にかかる伝あるを知らぬ、当時支那から入った俗説じゃろう。ヒンズー教の『譚流朝海《カタ・サリット・サラガ》』に、一樵夫夜叉輩より瓶を得、これを持てばどんな飲食も望みのまま出来るが、破《わ》れればたちまち消え失せるはずだ、やや久しく独りで楽しんでいたが、ある夜友人を会し宴遊するに、例の瓶から何でも出《い》で来る嬉しさに堪えず、かの瓶を自分の肩に載せて踊ると、瓶落ち破れて、夜叉のもとへ帰り、樵夫以前より一層侘しく暮したと出《い》づ。アイスランドの伝説に、何でも出す磨《ひきうす》を試すとて塩を出せと望み挽くと、出すは出すは、磨動きやまず、塩乗船に充《み》ち溢《あふ》れて、ついにその人を沈めたとあり。『酉陽雑俎』に、新羅国の旁※[#「施のつくり」、138−7]《ぼうい》ちゅう人、山中で怪小児群が持てる金椎子《きんのつち》が何でも打ち出すを見、盗み帰り、所欲《のぞみのもの》撃つに随って弁じ、大富となった、しかるにその子孫戯れに狼の糞を打ち出せと求めた故、たちまち雷震して椎子を失うたと見ゆるなど、いずれも俵の底を叩いて、米が出やんだと同じく、心なき器什《どうぐ》も侮らるると瞋《いか》るてふ訓戒じゃ。
 それから、竜神が秀郷に送った無尽蔵の巻絹の因《ちな》みに、やや似た事を記そう。ハクストハウセン(上に引いた書)がペルシアの俗談と書いたは、支那の伏羲|流寓《さすらえ》て、ある富んだ婦人に宿を求めると、卑蔑《さげすん》で断わられた。次に貧婦の小舎《こや》を敲《たた》くと、歓び入れてあるたけの飲食《おんじき》を施し、藁の床に臥さしめ、己は土上に坐し終夜眠らず、襦袢を作って与え、朝食せしめて村外れまで送った。伏羲嬉しさの余り、その婦に汝が朝手初めに懸った業は、※[#「日+甫」、第3水準1−85−29]《くれ》まで続くべしと祝うて去った。貧婦帰ってまず布を度《さ》し始めると、夕まで布尽きず、跡から跡から出続いたので、たちまち大富
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