たぬといった。百ガルヴァルは、日本の二四一九貫二〇〇匁で、大した量でないがこの話成った頃の韃靼《タタリア》では、莫大な物だったのだ。そこでシャー、しからば五十ガルヴァルはと問うと、海王それも出来ぬから、自分の后と諸公主《むすめども》を進《まいら》そうと答えた。このシャー女嫌いと見え、しからば二十五ガルヴァルはというと、それだけなら何とか拵《こしら》えて見ますと言って献った、その海王の粮《かて》というは稲で、もとより水に生じ、陸に生きなんだが、この時より内地諸湖の際に植えられたとある。
秀郷が、竜宮から得た巻絹や俵米は尽きなんだが、一朝|麁忽《そこつ》な扱いしてから出やんだちゅう談に似た事も、諸邦に多い。『五雑俎』十二に、〈巴東寺僧青磁碗を得て、米をその中に投ず、一夕にして満盆皆米なり、投ずるに金銀を以て皆|然《しか》り、これを聚宝※[#「怨」の「心」に代えて「皿」、第3水準1−88−72]《じゅほうわん》という、国朝沈万三富天下に甲たり、人言うその家にかの宝盆ありと〉、これは少し入れると一盃に殖えるので、無尽の米絹とやや趣きが差《ちが》う。欧州には、金を取れども尽きぬ袋の話多く、例せば一八八五年版クレーンの『伊太利俗談《イタリアン・ポピュラル・テールス》』に三条を出す。『近江輿地誌略』三九、秀郷竜宮将来の十宝の内に、砂金袋とあるもこの属《たぐい》だろう。古ギリシアのゼウス神幼時乳育されたアマルティアてふ山羊の角を折ってメリッセウスの娘どもに遺《おく》り、望みの品は何でもその角中に満つべき力を賦《つ》けた(スミス『希臘羅馬人伝神誌名彙《ジクショナリ・オヴ・グリーク・エンド・ローマン・バヨグラフィ・エンド・ミソロジー》』巻一)。
仏説に摩竭陀《まかだ》国の長者、美麗な男児を生むと同日に、蔵中|自《おの》ずから金象を生じ、出入にこの児を離れず、大小便ただ好《よ》く金を出す、阿闍世王これを奪わんとて王宮に召し、件《くだん》の男名は象護を出だし、象を留むるにたちまち地に没せり、門外に踊り出で、彼を乗せて還った、彼害を怖れ仏に詣り出家すると、象また随い行き、諸僧騒動す、仏象護に教え象に向い、我|今生《こんじょう》分《ぶん》尽きたれば汝を用いずと言わしむると、象すなわち地中に入ってしまった、仏いわく昔|迦葉仏《かしょうぶつ》の時、象護の前身|一《ある》塔中菩薩が乗った象の像少
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