ごとく、小声切々|時雨《しぐれ》の落葉を打つがごとく、とうとう一の小河を成して現存すとは、天晴《あっぱれ》な吹きぶりじゃ。
『氏郷記』に、竜宮から来た竜二郎、竜八の二子孫必ず身に鱗ありとは、垢《あか》が溜り過ぎたのかという人もあらんが、わが邦の緒方の三郎(『平家物語』)、河野道清(『予章記』)、それから松村武雄氏の祖(『郷土研究』二巻一号、二四頁)など、いずれも大蛇が婦人に生ませた子で、蛇鱗を具《そな》えいたと伝え、支那隋の高祖も竜の私生児でもあった者か、〈為人《ひととなり》竜顔にして、額上五柱八項あり、生まれて異あり、宅旁の寺の一尼抱き帰り自らこれを鞠《やしな》う、一日尼出で、その母付き自ら抱く、角出で鱗|起《た》ち、母大いに驚きこれを地に墜す、尼心大いに動く、亟《いそ》ぎ還りこれを見て曰く、わが児を驚かし、天下を得るを晩《おそ》からしむるを致す〉。『続群書類従』に収めた「稲荷鎮座由来」には、荷田氏の祖は竜頭太とて、和銅年中より百年に及ぶまで稲荷|山麓《さんろく》に住み、耕田採薪した山神で、面竜のごとく、顔光ありて夜を照らす事昼に似たり、弘法大師に約して長くこの地を守る、大師その顔を写して、当社の竈戸殿に安置すと見ゆ。既に竜顔といえば鱗もあったるべく、秀郷に従うた竜二郎竜八は、この竜頭太に傚《なろ》うて造り出されたものか、一八八三年版、ムラの『柬埔寨王国誌《ル・ロヨーム・ジュ・カンボジュ》』二に、昔仏|阿難《あなん》を従え、一島に至り、トラクオト(両舌ある大蜥蜴《おおとかげ》)の棲める大樹下に、帝釈《たいしゃく》以下天竜八部を聚《あつ》めて説法せし時、余食《くいのこし》をトラクオトに与え、この蜥蜴はわが説法を聴いた功徳により、来世必ず一国の王とならん、しかしその国の人民、皆王の前身舌二枚ある蜥蜴たりし業報《むくい》にかぶれ、いずれも不信実で、二枚舌使う者たるべしといったが、この予言通り、カンボジア人は不正直じゃと出《い》づ。これは竜の子孫に鱗の遺伝どころか、両舌竜の後身に治めらるる国民全体までも、両舌の心性を伝染したのだ。『大摩里支菩薩経』に、〈※[#「口+縛」、第3水準1−15−28]酥枳竜口より二舌|出《い》づ、身弦線のごとし〉とあるのは、トラクオトなどより転出した物か、アリゾナのモキス人、カシュミルの竜種人など、竜蛇の子孫という民族所々にある、これらも昔は鱗
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