を見出し『ネーチュル』へ訳載し大いに東洋人のために気を吐いた。その時予は窮巷《きゅうこう》の馬小屋に住んでいたが確か河瀬真孝子が公使、内田康哉子が書記官でこれを聞いて同郷人中井芳楠氏を通じて公使館で馳走に招かれたのを他人の酒を飲むを好かぬとして断わったが、河瀬内田二子の士を愛せるには今も深く感佩《かんぱい》し居る。前に述べた川村竹治などはまるで較べ物にならぬ、その後プリニウスを読むと八巻三十五章に蛇が土と同色でその形を隠す事は一汎《いっぱん》に知らる、九巻四八章に章魚《たこ》居処に随って色を変ずとあった。
『本草啓蒙』に「兎の性|狡《こう》にして棲所の穴その道一ならず、猟人一道を燻《ふすぶ》れば他道に遁《のが》れ去る、故に『戦国策』に〈狡兎三窟ありわずかにその死を免れ得るのみ〉という」。兎は後脚が長くてすこぶる迅《はや》く走りその毛色が住所の土や草の色と至って紛らわしき上に至って黠《ずる》く、細心して観察した人の説にその狡智狐に駕《が》すという。例せば兎|能《よ》く猟犬がその跡を尋ぬる法を知り極めて巧みに走って蹟《あと》を晦《くら》ます。時として長距離を前《すす》み奔《はし》って後同
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