その夜夢に冠服王者のごとき人が、※[#「※」は「羽」と「廾」を上下に組み合わせる、100−3]にいうたは我は※扶君[#「※」は「宛+鳥」、100−3]《えんふくん》としてこの地の神じゃ、汝我を辱めた罰としてまさに手を逢蒙に仮らんとすと、翌日逢蒙※[#「※」は「羽」と「廾」を上下に組み合わせる、100−4]を弑《しい》して位を奪うた。今に至ってもその辺の土人は兎を猟《と》らぬと見え、また後漢の劉昆弟子常に五百余人あり、春秋の饗射ごとに桑弧《そうこ》蒿矢《こうし》もて兎の首を射、県宰すなわち吏属を率いてこれを観《み》たとあり、遼の国俗三月三日木を刻んで兎とし朋《くみ》を分けて射た、因ってこの日を陶里樺《とうりか》(兎射)と称えたと出《い》づ。これは兎害を厭勝《まじない》のため兎を射る真似をしたのだろ。天主僧ガーピョンの一六八八|至《より》一六九八年間康熙帝の勅を奉じ西|韃靼《だったん》を巡回した紀行(アストレイ『新編紀行航記全集《ア・ニュウ・ゼネラル・コレクション・オヴ・ウオエージス・エンド・トラウェルス》』巻四、頁六七六)に帝が露人と講和のため遣わした一行がカルカ辺で兎狩した事を記して歩
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