ィ語』に仏経の野干を狐とした例芳賀博士の攷証本に明示されいる、その四四九頁に『経律異相』から引いて〈過去世、雪山下に近く師子王あり、五百師子の主と作《な》りたり、後時老いて病痩眼闇、諸師子前にありて、空井中に堕《お》つ。五百師子皆捨離し去る、爾時《そのとき》一野干あり、師子王を見てこの念を作《な》して言う、我この林に住み安楽し肉に飽満するを得る所以は師子王に由る、今急処に堕ちたり、いかに報ずべき、時にこの井辺に渠水流あり、野干すなわち口脚を以て水を通ず、水入って井に満ち師子浮み出づ、仏いわく師子王は我身|是《これ》なり、五百師子は諸比丘是なり、野干は阿難《あなん》是なりと〉。ここに野干が師子に恩を受けたとせるには訳ある事でこの物|毎《つね》に師子や虎を追蹤《つけまわ》りその残食を享けるのだ、バルフォールの『印度事彙』に夜分コレバルー咆うる所必ず虎あり、コレバルーとは野干年老い痩《や》せ衰えてその群より擯出され自ら餌を捉うる能わず、虎に随うて群を放れて牛などを探索して報《しら》せ虎これを殺し食うを俟ってその残を食うものをいう。ただし野干咆ゆるより虎の居処知れ討ち取らるる例多しとウットが書いた。かく不埒《ふらち》千万な野干も七日不食十善を念じ兜率天《とそつてん》に生まれたと『未曾有経』に出づ。ラッツェルの『人類史』にアフリカのチップー人は野干に則って外人の所有物を自分らの共有財産と做《な》し掠め取るとある。
仏教国に虎を入れた滑稽談も数ある、その内一つ出そう。クラウストンの『俗話小説の移化《テールス・エンド・ポピュラル・フィクションス》』一に引いたカシュミル国の譚に織工ファッツ一日|杼《ひ》を一たび投げて蚊七疋殺し武芸無双と誇って、杼と手荷物と餅一つ裹《つつ》んだ手巾を持って武者修行に出で、ある都に到ると大悪象が日々一人ずつ食う、勇士出征するも皆生き還るを得ぬ、ファッツ聴きて我一たび杼を投げて七つの蚊を平らげた腕前で、この象一疋|殪《たお》すは児戯に等しと合点し、単身往きてかの象を誅せんと国王に申し出た、王これは狂人だろうと思うて制すれど聞き入れぬから、しからば勝手にせよと勅命あり、象出で来るに及びかの小男槍か弓矢を帯びよと人々の勧めを却《しりぞ》け、年来|試《ため》し置いた杼の腕前を静かに見よと広言吐いて立ち向う、都下の人民皆城壁に登りてこれを見る、いよいよ悪象ファッツに走り懸ると彼奴《かやつ》今吐いた広言を忘れ精神散乱して杼も餅も落し命|辛々《からがら》逃げ走る、その餅原来尋常の餅でなく、ファッツの妻が夫の介性《かいしょう》なさに飽き果て情願《どうぞ》道中でコロリと参って再び生きて還らぬようと、餅に大毒を入れそれと勘付かれぬよう夥しく香料と砂糖を和して渡したやつだが、今象がファッツを追うて走る途上、餅の香りが余り高いのでちょっと嘗《な》め試みると至って甘いから何の考えもなく一嚥《ひとの》みにやらかしながらファッツに追い付いた、ファッツ今は詮術《せんすべ》尽き焼糞《やけくそ》になって取って還し一生懸命象に武者ぶり懸るとたん、ちょうど毒が廻って大象が倒れた、定めて小男は圧し潰されただろうと思うて一同城壁を下りて往き見ると、ファッツ平気で象の尸《しかばね》に騎《の》っており、落著《おちつき》払ってちょっと突いたらこの通り象は躯《からだ》が大きいが造作もなく殺さるるものをと言う、国王叡感斜めならず、即時彼を元帥と為《な》された、時に暴虎ありて国中を悩ますので王元帥に命じ討ち平らげしむ、ファッツ虎を見て魂身に添わず、樹上に逃げ上るとこの虎極めて気長くその下で七日まで待ち通した、八日目に草臥《くたびれ》て虎も昼寝するを見澄まし、ファッツ徐々《そろそろ》下りる音に眼を寤《さま》して飛び懸る、この時|晩《おそ》しかの時早くファッツが戦慄《ふるえ》て落した懐剣が虎の口に入って虎を殺した、怪我の高名と心付かぬ王は武勇なる者まさに笏?フ女に配すべしとて、艶色桃花のごとき妙齢の姫君を由緒|不知《しれず》のかの小男の妻に賜ったという。蕭斉訳『百喩経』に同じ話の異態を載す、昔一婦淫乱で夫を嫌い方便して殺さんとする際、君命に依って夫隣邦に使いす、妻五百の歓喜丸に毒を入れ夫に与え道中で食えという、夫旅立ちていまだ食わず夜に入り露宿すとて、猛獣を畏《おそ》れ丸を樹下に置き自ら樹上に宿す、その夜五百賊王の馬五百疋と種々の宝を盗んで樹下に来り、飢えを救わんとて各一丸ずつ食い中毒して皆死す、翌朝使人樹より下り賊の兵器もて群賊の尸に傷つけ、五百馬と宝を収め隣国王に面し、われ君のために群賊を鏖《みなごろし》にし盗まれた品ことごとく返上すと啓《もう》す、王人をして検せしむると群賊皆傷つき死せり、王大いに感じ使人に封邑を賜い重用す、王の旧臣皆この男を妬み遠方から素性の知れぬ者が来て、旧功の士の上に出るは怪《け》しからぬと呟く、かの男聞きてしからば汝らわれと武芸を較べ見よというに一人も進み出る者なし、その時曠野に悪しき獅あり、人を殺して道行く事絶えたり、旧臣議してかの者重用さるるは武勇無双と聞ゆるからだ、宜《よろ》しくこの獅を平らげて力のほどを見せらるべしという、王すなわち刀仗をかの男に賜い獅を討たしむ、やむをえず行き向うと獅吼えて飛び懸る、男惧れて樹に上るとて落した刀が下で開いた獅の口に入って獅たちまち往生した、王これは全く怪我の高名と知らず寵遇前に倍して厚く、国人皆敬伏して重んじたという。シェフネルの『西蔵説話《チベタンテイルス》』に大古湖畔にヴィルヴァ樹の林あり、中に六つの兎が住んだ、ところが一本の木が湖水に陥って大きな音を発すと兎ども大いに懼れて逃げ走る、野干これに逢うて訳を聞くと大きな音がしたという、野干大いに懼れて逃げ走る、猴これに逢うて大音したと聞きまた逃げ出す、※[#「※」は「鹿+章を上下に組み合わせる」、61−16]《ガゼル》が猴に逢い野猪が※[#「※」は「鹿+章を上下に組み合わせる」、61−16]に逢い、次は水牛、次は犀《さい》、次は象、それから熊|縞狼《ヒエナ》豹と、いずれも出逢い次第に大音したと聞いて逃げ走る、虎が豹から訳を聞いて逃げ走る途中、獅が虎から伝え聞いて山麓まで逃げ去った、そこに王冠のごとき鬣《たてがみ》を戴いた獅王あり、逃げ来った獅どもに向い汝ら爪も牙も強きに何とてかく見苦しく敗亡するぞと問うと、獅ども大音がしたと聞いた故と答う、獅王その音はどこでしたと問う、獅ども「一向存じません」、獅王「白痴奴《たわけめ》確かにどこで大音がしたと知らずに逃げる奴があるものか、そんな事を全体誰に聞いたか」、獅ども「虎の野郎が申しました」、獅王虎に追い付いて尋ねると豹に聞いたという、豹に尋ねると縞狼《ヒエナ》それから熊それから象犀と本元を尋ね究めて終《つい》に兎に尋ねると、我ら実際大音を発する怪物を見た処へ案内しようと言うた、そこへ往って見ると何の事はない樹が水に落ちたのと判ったんでこんな事に愕くなかれと叱って諸獣一同|安静《おちつい》た、爾時《そのとき》神|偈《げ》を説いて曰く、諸《もろもろ》の人いたずらに他言を信ずるなかれ、須《すべから》く躬《みずか》ら事物の実際を観よ、ヴィルヴァ樹一たび落ちて林中獣類|空《むな》しと。これは妄《みだり》に虚説を信ずる者を誡《いまし》めた譬喩だが、この話の体はいわゆる逓累話《キユミユラチブ・ストリー》というもので、グリンム、クラウストンその他の俚話を蒐《あつ》めた著書に多く見える、「クラウストン」より一例を引くと、マダガスカルの譚にイボチチなるもの樹に昇ると風が樹を吹き折り、イボチチ堕ちて脚を傷つけ、樹は人の脚を傷つけるから真に強いというと、樹いわく風がわれを折るから風の方が強いと、風いわく山はわれを遮るから強い、山いわくわれを穿《うが》つ鼠がわれより強い、鼠より猫、猫より縄、縄より鉄、鉄より火、火より水、水より舟、舟より岩、岩より人間、人間より術士、術士より毒起請、毒起請より上帝と次第に強きを譲る、イボチチここにおいて上帝より強い者なしと悟ると言う。またインドパンジャブ州の俚談に雄雀年老いたるが若き雌雀を娶り、在来の雌雀老いて痛き目を見るを悲しんで烏の※下[#「※」は「あなかんむり+果」、63−4]《かか》におり雨降るに気付かず、烏の※中[#「※」は「あなかんむり+果」、63−4]に色々に染めた布片あり、雨に溶けて老雀に滴り燦爛《さんらん》たる五采孔雀のごとしと来た、悦んで巣へ帰ると新妻羨んで何処《いずこ》でかく美装したかと問う、老妻染物屋の壺に浸って来たと対《こた》う、新妻これを信じ染物屋へ飛び往き沸き返る壺に入って死ぬほど湯傷《やけど》する、雄雀尋ね往って新妻を救い銜《くわ》えて巣へ還るさ老妻見て哄笑し、夫雀怒って婆様黙れと言うと新妻夫の嘴《くちばし》を外れ川に落ちて死んだ。夫雀哀しんで自ら羽を抜き丸裸になってピパル樹に栖《とまtり哭《な》く、ピパル樹訳を聞いて貰い泣きし葉をことごとく落す、水牛来て訳を聞いて角|両《ふた》つ堕《おと》し川へ水飲みに往くと、川水牛角なきを異《あや》しみ訳を聞いて貰い泣きしてその水|鹹《から》くなる、杜鵑《ほととぎす》来り訳を聞き悲しみの余り眼を盲《つぶ》し商店に止まって哭き、店主貰い泣きして失心す、ところへ王の婢来り鬱金《うこん》を求めると胡椒、蒜《にんにく》を求めると葱《ねぎ》、豆を求めると麦をくれるので訳を尋ね、哀しみ狂して王宮へ帰り詈《ののし》り行《ある》く、后怪しんで訳を聞き息切れるまで踊り廻る、王子これを哀しみ鼓を打ち王その訳を聞いて琴を弾いたという。日本にもこのような逓累譚《キユミユラチブ・ストリー》があった証拠は、近松門左の『嫗山姥《こもちやまうば》』二に荻野屋の八重桐一つ廓の紵巻《おだまき》太夫と情夫を争う叙事に「大事の此方《こなた》の太夫様に負を付けては叶うまい加勢に遣れと言うほどに……彼処では叩き合い此処では打ち合い踊り合い……打ちめぐ打ち破る踏み砕く、めりめりひやりと鳴る音にそりゃ地震よ雷よ、世直し桑原桑原と、我先にと逃げ様に水桶盥僵掛《みずおけたらいこけかか》り、座敷も庭も水だらけになるほどに、南無三《なむさん》津浪が打って来るは、のう悲しやと喚くやら秘蔵の子猫を馬ほどに鼠が咥《くわ》えて駈け出すやら屋根では鼬《いたち》が躍るやら神武以来の悋気《りんき》争い」とある、これはその頃行われた逓累譚《キユミユラチブ・ストリー》に意外の事どもを聯《つら》ねつづけた姿に擬したのだろ、かつて予が『太陽』に載せた猫一疋より大富となった次第また『宇治拾遺』の藁一筋|虻《あぶ》一疋から大家の主人に出世した物語なども逓累譚を基として組み上げた物だ。
(大正三年五月、『太陽』二〇ノ五)
(六) 虎に関する信念
『大英類典《エンサイクロペジア・ブリタニカ》』十一版インドの条に「今日主として虎が棲《す》むはヒマラヤ山麓で熱病常に行《はや》るタライ地帯と、人が住み能わぬ恒河三角島《ガンゼネク・デルタ》の沼沢と、中央高原の藪榛《そうしん》とで、好んで鹿|羚《アンテロプ》野猪を食い、この諸獣多き時は家畜を犯さず、農作を害する諸野獣を除きくれるから土民は虎を幾らかその守護者と仰ぐ」とある、白井博士は虫蛇|禽獣《きんじゅう》とて一概に排斥すべきにあらず、狐を神獣とし蛇を神虫として殺さざるは、古人が有益動物を保護して田圃《たんぼ》の有害動物を駆除する自然の妙用を知り、これを世人に励行せしむる手段とせしものにて決して迷信に起源せしものにあらずと言われた(明治四十四年十一月一日『日本及日本人』五頁)。現に紀州では神社|合祀《ごうし》を濫行し神林を伐り尽くして有益鳥類|栖《す》を失い、ために害虫|夥《おびただ》しく田畑に衍《はびこ》り、霞網などを大枚出して買い入れ雀を捕えしむるに、一、二度は八百疋捉えたの千疋取れたのと誇大の報告を聞いたが、雀の方がよほど県郡の知事や俗吏より慧《さと》くたちまち散兵線を張って食い荒らし居る、それと同時に英国では鳥類保護の声|殷《さか》ん
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