ソぐも》を誅した古蹟という、『日本紀』七や『豊後風土記』に景行帝十二年十月|碩田国《おおきたのくに》に幸《みゆき》し稲葉河上に土蜘蛛を誅せしに血流れて踝《つぶなき》に至るそこを血田というとあるのも土が赤かったからの解説《いいわけ》だろ、支那の『易経』に〈竜野に戦うその血元黄〉、これまた野の土や草が黄色の汁で染めたようなを竜が戦うた跡と見立てたらしい、英国ニューフォレストの赤土は昔ここで敗死した嗹人《デーンス》の血で色付いたと土民信じ、ニュージーランドのマオリ人がクック地峡の赤い懸崖を古酋長の娘の死を嘆いて自ら石片で額を傷《やぶ》った血の染まる所と伝えるなど例多くタイラーの『原始人文篇《プリミチヴ・カルチュル》』一に載せ居る。沙翁《シェキスピヤ》好きの人は熟知の通りギリシアの美少年アドニス女神ヴェヌスに嬖《へい》されしをその夫アレース神妬んで猪と現われ殺した時ヴェヌス急ぎ往《ゆ》いて蜜汁をその血に灑《そそ》ぐとたちまち草が生えた、これをアドニスと号《な》づけわが邦の福寿草と同属の物だが花が血赤い、さてパプロスに近い川水毎夏|漲《みなぎ》り色が赤くなるをアドニス最後の血が流れると古ギリシア
前へ
次へ
全132ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング