猫や虎豹獅米獅等の輩に及ばぬと論じた。この事については熊楠いまだ公けにせぬ年来の大議論があって、かつて福本日南に大英博物館《ブリチシュ・ミュジユム》で諸標品について長々しく説教し、日南感嘆して真に天下の奇才と称揚されたが、日本の官吏など自分の穢《きたな》い根性から万事万物汚く見る故折角の名説も日本では出し得ず、これを公にすると直ぐに風俗壊乱などとやられる。ここばかりに日が照らぬからいずれ海外で出す事としよう、とにかく眼で視《み》数で測り得る体格上でさえ人間の己惚れから観察に錯誤ある事ミヴワートの説のごとし、まして他の諸動物の心性の上に至っては近時まで学者も何たる仔細の観察をまるでせなんだ、これは耶蘇《ヤソ》教で人は上帝特別の思召しもて他の諸動物と絶えて別に創作された物といい伝えたからで、それなら人と諸動物と業報次第|輪廻《りんね》転生すと説く仏教を奉じた東洋の学者は諸動物の心性を深く究めたかというと、なるほど仏教の経論に多少そんな論もあるが、後世の学者が一向気に留めなんだから何の増補|研覈《けんかく》するところなかった、人と諸動物の心性の比較論はなかなか一朝にして言い尽すべきでないが、
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