Xトリー》があった証拠は、近松門左の『嫗山姥《こもちやまうば》』二に荻野屋の八重桐一つ廓の紵巻《おだまき》太夫と情夫を争う叙事に「大事の此方《こなた》の太夫様に負を付けては叶うまい加勢に遣れと言うほどに……彼処では叩き合い此処では打ち合い踊り合い……打ちめぐ打ち破る踏み砕く、めりめりひやりと鳴る音にそりゃ地震よ雷よ、世直し桑原桑原と、我先にと逃げ様に水桶盥僵掛《みずおけたらいこけかか》り、座敷も庭も水だらけになるほどに、南無三《なむさん》津浪が打って来るは、のう悲しやと喚くやら秘蔵の子猫を馬ほどに鼠が咥《くわ》えて駈け出すやら屋根では鼬《いたち》が躍るやら神武以来の悋気《りんき》争い」とある、これはその頃行われた逓累譚《キユミユラチブ・ストリー》に意外の事どもを聯《つら》ねつづけた姿に擬したのだろ、かつて予が『太陽』に載せた猫一疋より大富となった次第また『宇治拾遺』の藁一筋|虻《あぶ》一疋から大家の主人に出世した物語なども逓累譚を基として組み上げた物だ。
(大正三年五月、『太陽』二〇ノ五)
(六) 虎に関する信念
『大英類典《エンサイクロペジア・ブリタニカ》』十一版インドの条に「今日主として虎が棲《す》むはヒマラヤ山麓で熱病常に行《はや》るタライ地帯と、人が住み能わぬ恒河三角島《ガンゼネク・デルタ》の沼沢と、中央高原の藪榛《そうしん》とで、好んで鹿|羚《アンテロプ》野猪を食い、この諸獣多き時は家畜を犯さず、農作を害する諸野獣を除きくれるから土民は虎を幾らかその守護者と仰ぐ」とある、白井博士は虫蛇|禽獣《きんじゅう》とて一概に排斥すべきにあらず、狐を神獣とし蛇を神虫として殺さざるは、古人が有益動物を保護して田圃《たんぼ》の有害動物を駆除する自然の妙用を知り、これを世人に励行せしむる手段とせしものにて決して迷信に起源せしものにあらずと言われた(明治四十四年十一月一日『日本及日本人』五頁)。現に紀州では神社|合祀《ごうし》を濫行し神林を伐り尽くして有益鳥類|栖《す》を失い、ために害虫|夥《おびただ》しく田畑に衍《はびこ》り、霞網などを大枚出して買い入れ雀を捕えしむるに、一、二度は八百疋捉えたの千疋取れたのと誇大の報告を聞いたが、雀の方がよほど県郡の知事や俗吏より慧《さと》くたちまち散兵線を張って食い荒らし居る、それと同時に英国では鳥類保護の声|殷《さか》んに、バクランドは田林の保護は鳥類の保護を須《ま》つ人工でどんな保護法を行《や》っても鳥が害虫を除き鷙鳥《しちょう》が悪禽を駆るほどの効は挙がらぬ、たまたま鷹や梟《ふくろう》に※[#「※」は「轂」の字で左下の部分が「車」でなく「鳥」、65−7]《ひよこ》一疋金魚一尾捉られる位は冥加税《みょうがぜい》を納めたと心得べしと説いた、現に田辺附近で狐を狩り尽くして兎が跋扈《ばっこ》し、その害狐に十倍し弱り居る村がある、されば支那人も夙《つと》に禽獣が農事に大功あるを認め、十二月に臘《ろう》と名づけて先祖を祭ると同日、※[#「※」は「むしへん+昔」、65−9]《さ》といって穀類の種神を祭り、農夫と督耕者と農に益ある禽獣を饗せしは仁の至義の尽なりと『礼記』に讃《ほ》めて居る、子貢《しこう》※[#「※」は「むしへん+昔」、65−11]を観る、孔子曰く賜《し》や栄《たのし》きか、対《こた》えて曰く一国の人皆狂せるごとし、賜その楽しさを知らざるなり、子曰く百日の※[#「※」は「むしへん+昔」、65−12]一日の沢、爾《なんじ》が知るところにあらざるなり、百日|稼穡《かしょく》の労に対しこの一日|息《やす》んで君フ恩沢を楽しむ、その休息日に農夫のみか有益禽獣までも饗を享《う》けたので、古の君子これを使えば必ずこれに報ゆ、猫を迎うるはその田鼠《でんそ》を食うがためなり、虎を迎うるはその田豕《でんし》を食うがためなり、迎えてこれを祭るなりとあって、野猪が田を荒らすを虎が防ぎくれるから虎を猫とともに特に祭ったので、わが邦で山の神お犬など呼んで狼を祀《まつ》り猪鹿が畑を荒らすを防ぐに似たり。
しかしながら人間と猛獣と生活の縄張りが追々接近するに伴れその害を受くる事甚だしく、ついに専ら恐怖を懐《いだ》いて猛獣を神として祭り牲《いけにえ》してその害を避けんとするは自然の成り行きだ、『大英類典』インドの条にまた曰く「虎一たび人を食う癖が附くと殺害の夥しき事怖るべし、人を食う虎多くは老いて遠く餌を逐う能わざる奴で、食うためよりもただ多く殺すを目的とするらしい、一つの虎が百八人を三年間に殺し、また年に平均八十人ずつ殺した例がある、また一つの虎のために十三ヶ村人住まず二百五十方マイルために耕作|廃《すた》った事もあり、また虎一疋が一八六九年中に百二十七人を殺し官道絶ゆる事数週、たまたま英人来ってこれを殺し
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