ハ者が来て、旧功の士の上に出るは怪《け》しからぬと呟く、かの男聞きてしからば汝らわれと武芸を較べ見よというに一人も進み出る者なし、その時曠野に悪しき獅あり、人を殺して道行く事絶えたり、旧臣議してかの者重用さるるは武勇無双と聞ゆるからだ、宜《よろ》しくこの獅を平らげて力のほどを見せらるべしという、王すなわち刀仗をかの男に賜い獅を討たしむ、やむをえず行き向うと獅吼えて飛び懸る、男惧れて樹に上るとて落した刀が下で開いた獅の口に入って獅たちまち往生した、王これは全く怪我の高名と知らず寵遇前に倍して厚く、国人皆敬伏して重んじたという。シェフネルの『西蔵説話《チベタンテイルス》』に大古湖畔にヴィルヴァ樹の林あり、中に六つの兎が住んだ、ところが一本の木が湖水に陥って大きな音を発すと兎ども大いに懼れて逃げ走る、野干これに逢うて訳を聞くと大きな音がしたという、野干大いに懼れて逃げ走る、猴これに逢うて大音したと聞きまた逃げ出す、※[#「※」は「鹿+章を上下に組み合わせる」、61−16]《ガゼル》が猴に逢い野猪が※[#「※」は「鹿+章を上下に組み合わせる」、61−16]に逢い、次は水牛、次は犀《さい》、次は象、それから熊|縞狼《ヒエナ》豹と、いずれも出逢い次第に大音したと聞いて逃げ走る、虎が豹から訳を聞いて逃げ走る途中、獅が虎から伝え聞いて山麓まで逃げ去った、そこに王冠のごとき鬣《たてがみ》を戴いた獅王あり、逃げ来った獅どもに向い汝ら爪も牙も強きに何とてかく見苦しく敗亡するぞと問うと、獅ども大音がしたと聞いた故と答う、獅王その音はどこでしたと問う、獅ども「一向存じません」、獅王「白痴奴《たわけめ》確かにどこで大音がしたと知らずに逃げる奴があるものか、そんな事を全体誰に聞いたか」、獅ども「虎の野郎が申しました」、獅王虎に追い付いて尋ねると豹に聞いたという、豹に尋ねると縞狼《ヒエナ》それから熊それから象犀と本元を尋ね究めて終《つい》に兎に尋ねると、我ら実際大音を発する怪物を見た処へ案内しようと言うた、そこへ往って見ると何の事はない樹が水に落ちたのと判ったんでこんな事に愕くなかれと叱って諸獣一同|安静《おちつい》た、爾時《そのとき》神|偈《げ》を説いて曰く、諸《もろもろ》の人いたずらに他言を信ずるなかれ、須《すべから》く躬《みずか》ら事物の実際を観よ、ヴィルヴァ樹一たび落ちて林中獣類|空《むな》しと。これは妄《みだり》に虚説を信ずる者を誡《いまし》めた譬喩だが、この話の体はいわゆる逓累話《キユミユラチブ・ストリー》というもので、グリンム、クラウストンその他の俚話を蒐《あつ》めた著書に多く見える、「クラウストン」より一例を引くと、マダガスカルの譚にイボチチなるもの樹に昇ると風が樹を吹き折り、イボチチ堕ちて脚を傷つけ、樹は人の脚を傷つけるから真に強いというと、樹いわく風がわれを折るから風の方が強いと、風いわく山はわれを遮るから強い、山いわくわれを穿《うが》つ鼠がわれより強い、鼠より猫、猫より縄、縄より鉄、鉄より火、火より水、水より舟、舟より岩、岩より人間、人間より術士、術士より毒起請、毒起請より上帝と次第に強きを譲る、イボチチここにおいて上帝より強い者なしと悟ると言う。またインドパンジャブ州の俚談に雄雀年老いたるが若き雌雀を娶り、在来の雌雀老いて痛き目を見るを悲しんで烏の※下[#「※」は「あなかんむり+果」、63−4]《かか》におり雨降るに気付かず、烏の※中[#「※」は「あなかんむり+果」、63−4]に色々に染めた布片あり、雨に溶けて老雀に滴り燦爛《さんらん》たる五采孔雀のごとしと来た、悦んで巣へ帰ると新妻羨んで何処《いずこ》でかく美装したかと問う、老妻染物屋の壺に浸って来たと対《こた》う、新妻これを信じ染物屋へ飛び往き沸き返る壺に入って死ぬほど湯傷《やけど》する、雄雀尋ね往って新妻を救い銜《くわ》えて巣へ還るさ老妻見て哄笑し、夫雀怒って婆様黙れと言うと新妻夫の嘴《くちばし》を外れ川に落ちて死んだ。夫雀哀しんで自ら羽を抜き丸裸になってピパル樹に栖《とまtり哭《な》く、ピパル樹訳を聞いて貰い泣きし葉をことごとく落す、水牛来て訳を聞いて角|両《ふた》つ堕《おと》し川へ水飲みに往くと、川水牛角なきを異《あや》しみ訳を聞いて貰い泣きしてその水|鹹《から》くなる、杜鵑《ほととぎす》来り訳を聞き悲しみの余り眼を盲《つぶ》し商店に止まって哭き、店主貰い泣きして失心す、ところへ王の婢来り鬱金《うこん》を求めると胡椒、蒜《にんにく》を求めると葱《ねぎ》、豆を求めると麦をくれるので訳を尋ね、哀しみ狂して王宮へ帰り詈《ののし》り行《ある》く、后怪しんで訳を聞き息切れるまで踊り廻る、王子これを哀しみ鼓を打ち王その訳を聞いて琴を弾いたという。日本にもこのような逓累譚《キユミユラチブ・
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