その内一、二疋は必ず死んで産まるるんだろう。インド土人いわく虎子を生まばきっとその一疋は父虎に食わると、ロメーンスの説に猫|甚《いた》く子を愛するの余り、人がむやみにその子に触《さわ》るを見ると自分で自分の子を食ってしまうとあった。予本邦の猫についてその事実たることを目撃した。虎も四疋生みながら、一、二疋足手纏いになり過ぎるので食ってしまうのかも知れぬ。虎一生一乳、乳必双虎と『類函』にも見ゆ、また人これに遇《あ》うもの敵勢を作《な》ししばしば引いて曲路に至りすなわち避け去るべし。けだし虎頂Zくて回顧する能《あた》わず直行する故なりとある、これも事実らしい。ウットの『博物画譜《イラストレイテット・ナチュラル・ヒストリー》』に虎道傍にあって餌獣の至るを俟《ま》つに必ず自分の巣に対せる側においてす。これ獣を捉えて真直《まっす》ぐに巣に行かんためで、もし巣の側にあって餌を捉えたら真直ぐに遠い向側に進み、それから身を廻して道を横ぎり元の巣の側へ還《かえ》る迂路を取らねばならぬからだ。また虎が餌獣を打たんとて跳びついて仕損じたら周章《あわ》て慙愧《はじい》り二度試みて見ずに低頭して去るとある。支那にも『本草』にその物を搏《う》つや三《み》たび躍《おど》って中《あた》らずんばすなわちこれを捨つと出《い》づ。川柳に「三たび口説《くど》いて聴かれず身|退《ひ》く振られ客」とあるごとし、『爾雅』に虎の浅毛なるを山※[#「※」は「むじなへん+苗」、12−15]《さんみょう》、白いのを※[#「※」は「虎+甘」、12−15]《かん》、黒きを※[#「※」は「虎+夂と黒を上下に組み合わせたもの」、12−15]《いく》、虎に似て五指のを※[#「※」は「むじなへん+區」、12−15]《ちゅ》、虎に似て真でないを彪《ひょう》、虎に似て角あるを※[#「※」は「がんだれ+虎」、12−16]《し》というと言って、むつかしい文字ばかり列《なら》べ居る。『国史補』には四指のを天虎《てんこ》五指のを人虎と俗称すと出づ。ちょっと聞くと誠に出任せな譫語《たわごと》のようだが実は支那に古来虎多く、その民また特に虎に注意して色々と区別を付ける事あたかもわが邦で鷹や馬に色々種別を立てたごとし。サモエデスは馴鹿《となかい》に注意深き余りその灰褐色の浅深を十一、二の別名で言い分け、アフリカのヘレロ人は盛んに牧牛に勤め牛の毛色を言い分くる語すこぶる多く、芝や空の色を一つの語で混じ言うを何とも思わぬが牛の褐色を種別して言い能わぬ者を大痴《おおばか》とす(ラッツェル『人類史《ヒストリー・オブ・マンカインド》』巻一)。田辺の漁夫は大きさに準《よ》って鰤《ぶり》を「つはだ、いなだ、はまち、めじろ、ぶり」と即座に言い別くる。しかるに綿羊と山羊の見分けが出来ぬ。開明を以て誇る英米人が兄弟をブラザー姉妹をシスターと言うて、兄と弟、姉と妹をそれぞれ手軽く言い顕《あらわ》す語がないのでアフリカ行の宣教師が聖書を講ずる際、某人《それがし》は某人《それがし》のブラザーだと説くと、黒人がそれは兄か弟かと問いヤし返答に毎々困るというが(ラッツェル『人類史』二)、予もイタリア書に甥も孫もニポテとあるを見るごとにどっちか分らず大いに面喫《めんくら》う事である。
 『本草』に虎が狗《いぬ》を食えば酔う狗は虎の酒だ、また虎は羊の角を焼いた煙を忌みその臭《かざ》を悪《にく》んで逃げ去る、また人や諸獣に勝つが蝟《はりねずみ》に制せらるとある。佐藤成裕の『中陵漫録』二に虎狗を好み狗|赤小豆《あずき》を好み猫|天蓼《またたび》を好み狐焼鼠を好み猩《しょうじょう》桃を好み鼠|蕎麦《そば》を好み雉子《きじ》胡麻を好み、虎狗を食して淫を起し狗|赤小豆《あずき》を食して百疾を癒《いや》し猫天蓼を※[#「※」は「くちへん+敢、13−15]《くろ》うてしきりに接《まじわ》る、狐焼鼠を見て命を失う猩桃を得て空に擲《なげう》つ、鼠蕎麦に就いて去る事を知らず、雉子胡麻を食して毎朝来ると見ゆ。皆まで嘘でなかろう、虎が蝟に制せらるるは昨今聞かぬが豪猪《やまあらし》を搏《う》つとてその刺《はり》に犯され致命傷を受くる事は近年も聞くところだ。『物類相感志』に虎が人を食うごとに耳上に欠痕もしくは割裂を生ずる、その数を験して何人食ったと判るとある。また『淵鑑類函』に〈虎小児を食わず、児痴にして虎の懼るべきを知らず、故に食わず、また酔人を食わず、必ず坐して守り以てその醒《さ》むるを俟《ま》つ、その醒むるを俟つにあらず、その懼るるを俟つなり〉とある、自分を懼れぬ者を食わぬのだ。さていわく〈およそ男子を食う必ず勢より起る、婦人は必ず乳より起る、ただ婦人の陰を食わず〉とは大椿件だ。十六世紀にレオ・アフリカヌスが著した『亜非利加紀行《デスクリプチヨネ・デル・アフリカ》』
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