《ふしどころ》なる」、また『源氏物語』女三宮の条に見えたり、唐土《もろこし》の小説に虎を山猫という事、『西遊記』第十三回〈虎穴に陥って金星厄を解《とりのぞ》く〉といえる条に「〈伯欽|道《い》う風※[#「※」は「くちへん+何」、9−12]|是個《こ》の山猫来れり云々、只見る一隻の班爛虎〉」とあり云々」、これも伯欽が勇を恃《たの》んで虎を山猫と蔑語したのだ。

    (二) 虎の記載概略

 虎の記載を学術上七面倒に書くより『本草綱目』に引いた『格物論』(唐代の物という)を又引《またびき》するが一番手軽うて解りやすい。いわく虎は山獣の君なり、状《かたち》猫のごとくにて大きさ牛のごとく黄質黒章《きのしたじくろきすじ》、鋸牙鉤爪《のこぎりばかぎのつめ》鬚健にして尖《とが》り舌大きさ掌のごとく倒《さかさま》に刺《はり》を生ず、項《うなじ》短く鼻|※[#「※」は「へんが鼻+巛と邑を上下に組み合わせる」、10−2]《ふさが》る、これまでは誠に文簡にして写生の妙を極め居る。さてそれから追々支那人流の法螺《ほら》を吹き出していわく、夜視るに一目は光を放ち、一目は物を看《み》る、声|吼《ほ》ゆる事雷のごとく風従って生じ百獣震え恐るとある。しかし全くの虚譚でもないらしく思わるるは予闇室に猫を閉じ籠《こ》めて毎度|験《ため》すと、こちらの見ようと、またあちらの向きようで一目強く光を放ち、他の目はなきがごとく暗い事がしばしばあった。また虎|嘯《うそぶ》けば風生ずとか風は虎に従うとかいうは、支那の暦に立秋虎始めて嘯くとあるごとく、秋風吹く頃より専ら嘯く故虎が鳴くのと風が吹くのと同時に起る例が至って多いのだろう。予が現住する田辺《たなべ》の船頭大波に逢うとオイオイオイと連呼《よびつづ》くれば鎮《しず》まるといい、町内の男子暴風吹き荒《すさ》むと大声挙げて風を制止する俗習がある。両《ふたつ》ながら予その場に臨んで験《ため》したが波風が呼声を聞いて停止するでなく、人が風波のやむまで呼び続けるのだった。バッチの『埃及諸神譜《ゴッズ・オヴ・ゼ・エジプチアンス》』に古エジプト人|狗頭猴《チノケフアルス》を暁の精とし日が地平より昇りおわればこの猴《さる》に化すと信じた。実はこの猴アフリカの林中に多く棲み日の出前ごとに喧噪呼号するを暁の精が旭を歓迎頌讃すと心得たからだと出づ。これも猴に呼ばれて旭が出るでなく旭が出掛かるによって猴が騒ぐのだ。さて虎も獅《しし》も同じく猫属の獣で外貌は大いに差《ちが》うが骨骼《こっかく》や爪や歯牙は余り違わぬ、毛と皮が大いに異なるのだ。ただし虎の髑髏《されこうべ》を獅のと較べると獅の鼻梁《はなばしら》と上顎骨が一線を成して額骨と画《わか》れ居るに虎の鼻梁は上顎骨よりも高く額骨に突き上り居る、獅は最大《いとおお》いなるもの鼻尖《はなさき》から尾の端まで十フィート六インチなるに虎は十一フィートに達するがある由。インhや南アジア諸島の虎は毛短く滑らかで色深く章条《すじ》鮮やかなるに、北支那やシベリア等寒地に棲むものは毛長く色淡し、虎の産地はアジアに限りアムール州を最北限、スマトラ、ジャワとバリを最南限とし、東は樺太《からふと》、西は土領ジョルジアに達すれど日本およびセイロン、ボルネオ等諸島にこれなし、インドの虎は専ら牛鹿|野猪《いのしし》孔雀《くじゃく》を食いまた蛙や他の小猛獣をも食い往々《まま》人を啖《く》う。創《きず》を受けまた究迫さるるにあらざれば人と争闘せず。毎《いつ》も人を食う奴は勢|竭《つ》き歯弱れる老虎で村落近く棲み野獣よりも人を捉うるを便とす、草野と沼沢に棲む事多きも林中にも住み、また古建築の廃址《はいし》に居るを好く、水を泳ぐが上手で急がぬ時は前足もて浅深を試みて後渡る。虎ごとに章条《すじ》異なり、また一|疋《ぴき》の体で左右異なるもある。『淵鑑類函』巻四二九に虎骨|甚《はなは》だ異なり、咫尺《しせき》浅草といえども能《よ》く身伏して露《あら》われず、その※然[#「※」は「九+虎」、11−11]《こうぜん》声を作《な》すに及んではすなわち巍然《ぎぜん》として大なりとある。動物園や博物館で見ると虎ほど目に立つ物はないようだが、実際野に伏す時は草葉やその蔭を虎の章条と混じやすくて目立たず、わずかに低く薄く生えた叢《くさむら》の上に伏すもなお見分けにくい、それを支那人が誤って骨があるいは伸び脹《ふく》れあるいは縮小して虎の身が大小変化するとしたんだ。バルフォールの『印度事彙』に人あり孕んだ牝虎を十七疋まで銃殺し剖《さ》いて見ると必ず腹に四児を持っていた。しかるに生まれて最《いと》幼き児が三疋より多く母に伴《つ》れられ居るを見ず、自分で餌を覓《あさ》るほど長じた児が二疋より多く母に偕《ともな》われ居るを見なんだ。因って想うに四疋孕んで
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