ワた信ず虎王白くて人を啖わず、神山に隠れ棲む処へ子分ども諸獣肉を献上す、また王でなく白くもない尋常の虎で人を啖わずいわば虎中の仙人比丘で神力あり人を食うほど餓うればむしろ土を食うのがある。これをオンコプと名づく。その他人を何の斟酌《しんしゃく》なく搏《う》ち襲う虎をコンベオと名づけ人また何の遠慮なくこれを撃ち殺す、しかし虎が網に罹《かか》ったり機に落ちたりして即座にオンコプだかコンベオだか判りにくい事が多いから、そんな時は何の差別なく殺しおわる。虎は安南語を解し林中にあって人が己れの噂するを聞くという。因って虎を慰め悼《いた》む詞《ことば》を懸けながら近寄り虎が耳を傾け居る隙《すき》を見澄まし殺すのだ。また伝うるは虎に食わるるは前世からの因果で遁れ得ない、すなわち前生に虎肉を食ったかまた前身犬や豚だった者を閻魔《えんま》王がその悪《にく》む家へ生まれさせたんだ。だからして虎は人?Pうに今度は誰を食うとちゃんと目算が立ちおり、その者現に家にありやと考えもし疑わしくば木枝を空中に擲《なげ》て、その向う処を見て占うという。カンボジア人言うは虎|栖《す》より出る時、何気なく尾が廻る、その尖《さき》を見て向う所を占う(アイモニエー『柬埔寨人風俗迷信記《ノート・シユル・レ・クーツーム・エ・クロヤンス・スペルスチシヨース・デ・カンボジヤン》』)。虎はなかなか占いが好きで自ら占うのみならず、人にも聞いた例、『捜神後記』に曰く、丹陽の沈宗卜を業とす、たちまち一人|皮袴《かわばかま》を著《き》乗馬し従者一人添い来って卜を請う、西に去って食を覓《もと》めんか東に求めんかと問うたんで、宗|卦《け》を作《な》し東に向えと告げた。その人水を乞うて飲むとて口を甌中に着け牛が飲むごとし。宗の家を出て東に百余|歩行《ある》くと、従者と馬と皆虎となりこれより虎暴非常と。『梁典』に曰く、〈斉の沈僧照かつて校猟し中道にして還る、曰く、国家に辺事あり、すべからく処分すべしと。問う、何を以てこれを知ると、曰く、さきに南山の虎嘯を聞きて知るのみと、俄《にわか》に使至る〉。これは人が虎|嘯《うそぶ》くを聞いて国事を卜《うらの》うたのだ。防州でクマオに向って旅立ちすると知って出たら殺され知らずに出たら怪我《けが》するとてその日を避ける。船乗り殊に忌む。クマオは子辰申の日が北でそれから順次右へ廻る。その日中に帰るならクマオに向い往くも構わぬという(大正二年十二月『郷土研究』六二七頁)。このクマオも熊尾で上述の虎同様熊が短き尾を以て行くべき処を卜うてふ伝説でもあるのか、また西洋で北斗を大熊星というからその廻るのを熊尾と見立てての事か、大方の教えを乞い置く。
 『本草綱目』に虎皮を焼いて服《の》めば卒中風を療す、また瘧疾《おこり》を治し邪魅を避く、と出《い》づ。『起居雑記』に虎豹の皮上に睡れば人の神を驚かしむとある由。予往年大阪の老いた薬商に聞いたは、虎皮上で竜虎采戦の秘戯をすると二人とも精神|茫空《ぼうくう》す熊胆を服めば本復すと。どうも啌《うそ》らしいから自分|試《ため》して実否を験せんと毎度望むが、虎皮が手もとにないから事遂げぬ。読者中誰か貸してくれぬかしら。虎膏は狗噛瘡を治し、下部に納《いれ》れば痔病で血下るを治し、内服せば反胃《かく》を治し、煎消して小児の頭瘡|白禿《しらくも》に塗ると『本草』に見ゆ。宜《よろ》しく行《や》って見なさい。だが虎膏は皮より一層むつかしい尋ね物だ。昔仏|王舎城《おうしゃじょう》に在《おわ》せし時、六群比丘、獅虎豹豺|羆《ひ》の脂《あぶら》を脚に塗り象馬牛羊驢の厩に至る。皆その脂臭を嗅いで覊絆《きはん》を托※[#「※」は「てへん+曳」、78−8]《たくえい》驚走す、比丘輩我大威徳神力ある故と法螺《ほら》吹き諸|居士《こじ》これを罵る。猟師の習い悪獣の脂を脚に塗り畜生をして臭いを聞《か》いで驚き走らしむるのだ。仏これを聞いてかかる事した比丘を突吉羅《ときら》罪とした(東晋訳『十誦律毘尼序』巻下)。
 アイモニエー曰く、猫|往昔《むかし》虎に黠智《かつち》と躍越法を教えたが特《ひと》り糞を埋むる秘訣のみは伝えず、これを怨《うら》んで虎今に猫を嫉むとカンボジアの俗信ずと。また同国で言うは虎|故《ゆえ》なく村に入るは伝染病流行の兆《きざし》と。熊野で聞いたは狼もっとも痘瘡の臭を好み、この病|流行《はや》る時村に忍び入って患者に近づかんとすと。『山海経』に崑崙の西に玉山あり西王母《せいおうぼ》居る、〈西王その状《かたち》人のごとし、豹尾虎歯にして善く嘯く、蓬髪《ほうはつ》勝を戴《いただ》く、これ天の※[#「※」は「がんだれ+萬」、78−16](※[#「※」は「がんだれ+萬」、78−16]は※[#「※」は「うかんむり+火」、78−16]《わざわい》なり)およ
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