旭が出掛かるによって猴が騒ぐのだ。さて虎も獅《しし》も同じく猫属の獣で外貌は大いに差《ちが》うが骨骼《こっかく》や爪や歯牙は余り違わぬ、毛と皮が大いに異なるのだ。ただし虎の髑髏《されこうべ》を獅のと較べると獅の鼻梁《はなばしら》と上顎骨が一線を成して額骨と画《わか》れ居るに虎の鼻梁は上顎骨よりも高く額骨に突き上り居る、獅は最大《いとおお》いなるもの鼻尖《はなさき》から尾の端まで十フィート六インチなるに虎は十一フィートに達するがある由。インhや南アジア諸島の虎は毛短く滑らかで色深く章条《すじ》鮮やかなるに、北支那やシベリア等寒地に棲むものは毛長く色淡し、虎の産地はアジアに限りアムール州を最北限、スマトラ、ジャワとバリを最南限とし、東は樺太《からふと》、西は土領ジョルジアに達すれど日本およびセイロン、ボルネオ等諸島にこれなし、インドの虎は専ら牛鹿|野猪《いのしし》孔雀《くじゃく》を食いまた蛙や他の小猛獣をも食い往々《まま》人を啖《く》う。創《きず》を受けまた究迫さるるにあらざれば人と争闘せず。毎《いつ》も人を食う奴は勢|竭《つ》き歯弱れる老虎で村落近く棲み野獣よりも人を捉うるを便とす、草野と沼沢に棲む事多きも林中にも住み、また古建築の廃址《はいし》に居るを好く、水を泳ぐが上手で急がぬ時は前足もて浅深を試みて後渡る。虎ごとに章条《すじ》異なり、また一|疋《ぴき》の体で左右異なるもある。『淵鑑類函』巻四二九に虎骨|甚《はなは》だ異なり、咫尺《しせき》浅草といえども能《よ》く身伏して露《あら》われず、その※然[#「※」は「九+虎」、11−11]《こうぜん》声を作《な》すに及んではすなわち巍然《ぎぜん》として大なりとある。動物園や博物館で見ると虎ほど目に立つ物はないようだが、実際野に伏す時は草葉やその蔭を虎の章条と混じやすくて目立たず、わずかに低く薄く生えた叢《くさむら》の上に伏すもなお見分けにくい、それを支那人が誤って骨があるいは伸び脹《ふく》れあるいは縮小して虎の身が大小変化するとしたんだ。バルフォールの『印度事彙』に人あり孕んだ牝虎を十七疋まで銃殺し剖《さ》いて見ると必ず腹に四児を持っていた。しかるに生まれて最《いと》幼き児が三疋より多く母に伴《つ》れられ居るを見ず、自分で餌を覓《あさ》るほど長じた児が二疋より多く母に偕《ともな》われ居るを見なんだ。因って想うに四疋孕んで
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