年|棲《す》めり、初めはどこにも独り行き得なんだがこの頃(一八七四年)は多少行き得、仕事をさせるに他が番せねばたちまち休《やめ》る癖あり、最も著しき一事はその前肢甚だ短き事でこれは長く四ツ這いのみし行《ある》きしに因るだろうという、最初この児捕われた時一牝狼の尸《しかばね》とその子二疋とともに裁判庁へ将《も》ち来《きた》る、全く四肢で行《ある》き万事獣と異《かわ》らず、煮た物を一切食わず、生肉は何程《いかほど》も啖う、その両脚を直にするため数月間土人用の寝牀に縛り付けて後ようやく直立するに及べり、今一人狼※[#「※」は「あなかんむり+果」、30−2]より燻べ出された児は年はるかに少《わか》かったが夜分|動《やや》もすれば藪に逃げ入りて骨を捜し這い行《ある》く、犬の子のごとく悲吟するほか音声を発せず、これらの二児相憐愛し長者少者に鍾《コップ》より水飲む事を教えた、この少者わずかに四ケ月この院にあったその間ヒンズー人しばしば来てこれを礼拝し、かくすればその一族狼害を免がると言った。一八五一年スリーマン大佐曰く数年前ウーズ王の臣騎馬で河岸を通り三疋の獣が水飲みに来るを見ると、二疋は疑いなく幼い狼だが一疋は狼でなかった、直ちに突前して捉え見ると驚くべし、その一疋は小さき裸の男児で、四肢で行《ある》き膝と肘《ひじしり》が贅《こぶ》に固まりいた、烈しくもがく奴をついに擒《いけど》ってルクノーに伴れ行き畜《こ》うたが、全く言語せず才智狗同前で手真似や身ぶりで人意を悟る事|敏《はや》かった、大佐また曰く今一児狼群中より捉え来られたのは久しき間強き狼臭が脱けず、捉えられて後三疋の狼来て子細に吟味した後その児少しも惧れずともに戯れた、数夜後には六疋尋ねて来た、もとかの児と同夥《どうか》と見えると、またマクス・ミュラーの説にチャンズールの収税吏が河辺で大きな牝狼が穴から出ると三疋の狼子と一人の小児が随いて行くを見て捕えんとすると狼子の斉《ひと》しく四肢で走り母狼に随い皆穴に入った、土民集まり土を掘ってかの児を獲たが、穴さえ見れば這入《はい》らんとす、大人を見て憚る色あったが小児を見れば躍《と》び付いて咬もうとした、煮た肉を嫌い生肉と骨を好み犬のごとく手で押えいた、言語を教えるも呻吟《うなる》ばかりだった、この児のち英人ニコレツ大尉の監督で養われたが生肉を嗜む事甚だしく一度に羊児半分を食っ
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