ム五残(残殺の気なり)を司る〉。支那にも昔流行病と虎豹と関係ありとしたのだ。また虎が人を病ましむる事も『淵鑑類函』に出づ。清源の陳褒別業に隠居し夜窓に臨んで坐す、窓外は広野だ、たちまち人馬の声あり、屹《きっ》と見ると一婦人虎に騎《の》り窓下より径《みち》を過ぎて屋西室の外に之《ゆ》く。壁隔て室内に一婢ありて臥す。右の婦人細き竹杖で壁隙より刺すと婢腹病むというて戸を開き厠《かわや》に如《ゆ》く。褒まさに駭《おどろ》き、呆《あき》れて言を発せぬうち婢立ち出で虎に搏《う》たる。褒出で救うてわずかに免がれた。郷人曰く村中つねにこの怪あり、虎鬼と名づくと。虎に騎った女鬼が人を杖で突いて腹痛がらせ外出して虎に搏たれしむるので、上に言った※鬼[#「※」は「にんべん+長」、79−7]《ちょうき》の類だ。インドの虎狩人の直話をワルハウス筆して曰く、コイムバトール地方を永い間侵して人多く殺した一虎を平らげんとて懸賞したが、誰も討ちおおせなんだ。世評にこの虎に食われた梵志の霊がその虎に騎り差図して撃たれざらしむと言った。件《くだん》の虎狩人何とか討ち留めて高名せんと村|外《はず》れの高樹に上り銃を手にして見廻し居ると、夜中に一つの光が榛中《しんちゅう》を巡り行《あり》く、眼を定めて善く視《み》ると虎の頭に光ありて虎形が朦朧《もうろう》ながら見えるほどだ。樹に近く来るとその人全身|痺《しび》れるほど怖ろしくなり銃を放ち能わず一生にかつてこんな恐《こわ》い目に遭った事なしと(一八九四年十二月『フォークロール』二九六頁)。
ジャクモンが『一八二八|至《より》三二年|印度紀行《ウオヤージ・ダン・ランド》』一にジャグルナット行の巡礼葉竹の両端に二つ行李《こうり》附けて担《にな》い行李ごとに赤布片を付ける、林中の虎を威《おど》すのだとあるが、そんな事で利《き》く事か知らん。『西京雑記』にいう、東海の黄公少時|幻《げん》を能くし蛇や虎を制するに赤金刀を佩《お》ぶ、衰老の後飲酒度を過ぐ、白虎が東海に見《あらわ》れたので例の赤刀を持ち厭《まじない》に行きしも術行われず虎に食われた、年老《としより》の冷水でなくて冷酒に中《あた》ったのだ。『呂氏春秋』には不老長生の術を学び成した者が、虎に食われぬ法を心得おらなくて虎に丸呑みにされたとある、いわゆる人参《にんじん》呑んで縊死だ。インドのゴンド人は毎村術士あり
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