《か》れてかさなりあっているところや、青黒い水が、どんよりと深くよどんでいるような場所《ばしょ》がありました。水鳥がむれて泳《およ》いでいる時も、あめんぼが勢いよく走っている時もありました。しかし清造には、この沼《ぬま》のあたりが、一番しずかでだれにもいじめられずに遊んでいられる場所だったのです。
 清造はさびしくなると立ちよって、沼に石を投《な》げこみました。すると、やがて大きなあわがひとつぽっくりと浮《う》かんで、ぽっと消えると、後からまた、小さなあわが、ぶくぶくと、たくさん浮かんできます。これはなんだか、沼が清造に話をでもするように思われました。だから清造は、沼のふちに遊びにきて帰る時には、かならず石を一つ投げこんであわがすっかり浮かびきるまでながめてから、自分《じぶん》の家に帰るのでした。
 ことしの夏、この山奥の小さな村に悪い病気がはやった時、清造の両親《りょうしん》は一時《いちじ》に病気のためになくなりました。まだやっと十三になったばかりの清造は、悲しみとさびしさの中にとほうにくれてしまいました。
 秋になって、百姓仕事《ひゃくしょうしごと》が、少しせわしくなってから、清造は、近所の家に手伝いにいって食べさせてもらっていました。しかし、この村はどの家も、どの家もまったく貧《まず》しい暮《くら》しをしているので、どこでも清造ひとりを余計《よけい》に養《やしな》っておけるような家はなかったのです。
「おめえのような人間は、いまのうちに東京さいって、なにかしたらいいだ。気だても素直《すなお》だから、どこさでもおいてくれべえ。こんな村に子どもひとりして暮していたってしようがない。早くいくがいいよ。」
 秋の刈入《かりい》れがすんで、手伝《てつだ》い仕事がなくなると、村のひとたちはだれも清造にこういうのでした。清造はそれを聞くと悲《かな》しくなって、沼のふちへ来て泣《な》いていました。そうして今度《こんど》は、石を二度、沼の中に投げこみました。ゆっくりと間を置いて、はじめのあわが消《き》えてしまうと、また投げるのです。そのあわをじっと見てると、死んでいった父と母が、あわの中からなにかささやくように思われました。
 清造が毎日、沼のふちに来てぼんやりして暮《くら》しているので、村の人もとうとうかまわなくなりました。食べられなくなった清造は、ついに村を出なければならな
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