それらの店の人たちはみんな、朝のかざりつけにせわしそうに働いていました。ぼろぼろによごれた、きたない着物をきている、ちっぽけな子どもなんかに目もくれる人はありません。それほどみんなはせわしかったのです。往来《おうらい》にはつめたい風が吹いているし、今はもう暮《く》れの売出《うりだ》しの時節《じせつ》です。
 清造はだまってぼつぼつ歩いていました。お腹《なか》もぺこぺこに減《へ》っていましたが、なにか買って食べるお金なんか一|文《もん》も持っていなかったのです。めし屋ののれん[#「のれん」に傍点]の中からは、味噌汁《みそしる》やご飯《はん》の香《かお》りがうえきった清造の鼻先《はなさき》に、しみつくようににおってきました。しかし清造はぺこぺこにへこんだお腹をそっとおさえて、悲しそうにいき過ぎるよりほかにしかたがありませんでした。
 このにぎやかな町にはいってから、五、六|町《ちょう》歩《ある》くうちに清造はどこの店も、自分にはまるで用《よう》のないものだということを、小さな頭にさとりました。唐物屋《とうぶつや》だの呉服店《ごふくてん》などに、どんなにきれいなものがかざってあっても、今の清造にはなんの興味《きょうみ》もありません。金物屋《かなものや》や桶屋《おけや》はそれ以上に用のないものでした。といって、あのうまそうなおかしだの、にしめだののならべてある店の前に立つと、ただ苦《くる》しくなってくるばかりです。
「どこにもおれには用はねえだ。」かれはそう思うと、このにぎやかな町が、にわかにさびしいものになってしまったように感じました。そうして、きのうまで歩いて来た、林だの畑ばかりつづいたいなか道が、かえって恋《こい》しくなってきました。そこでもかれはむろん、うえ疲《つか》れて歩いていました。しかし、お腹《なか》がへって、からだが疲《つか》れてふらふらしてくると、清造はどこか道ばたの木の根でも、お堂《どう》の縁《えん》にでも腰をおろして、ごろりと横になるのでした。そうしてふと目をつぶると、頭の中がしいんとして、いつも同じように、自分がいままで遊んでいた、村のはずれにある、あの大きな沼《ぬま》が目の前に浮《う》かんできました。
 清造はそのふるびたさびしい沼のふちに、たったひとりで遊んでいました。沼にはあし[#「あし」に傍点]やよし[#「よし」に傍点]の黄色い茎《くき》が枯
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