の非目的論的宇宙觀、機械論的宇宙觀の上に於ても成立つものである。乍併、第二、第三の禍惡觀は非目的論的宇宙觀の上には决して成立つものではない、宇宙秩序に、何かの目的、何かの意義を認めた上でなければ决して成立つものではない。宇宙秩序に目的、意義を認むるは知性の仕事でなくして情性(〔Gemu:t〕)の仕事である、頭腦《ヘッド》の仕事でなくして心胸《ハート》の仕事である、從つて學理上の要求でなくして倫理上若くば宗教上の要求である。
古來、目的論を否定しながら、第二、第三の禍惡觀を立てた哲學者はあるが、是れは論理的[#「論理的」に丸傍点]には决して成立つものではない。哲學上の非目的論的宇宙觀と、倫理上、宗教上の目的論的禍惡觀との間には論理的[#「論理的」に丸傍点]の連鎖は到底ないのであります。
今之を上古の哲學者中に求むれば、原子論者の始祖たるデーモクリトス[#「デーモクリトス」に傍線]は其適例でありませう。デーモクリトス[#「デーモクリトス」に傍線]は先づ機械論的非目的論的宇宙觀の主唱者の好代表者であると言つて宜しい。彼れは、當時の目的論者、否な目的論的世界觀の始祖と言はるべきアナキサゴラ
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