、苦及び惡(兩者を兼ねたる語を用うれば、禍惡、evil 或は 〔U:bel〕)に對する態度に上に擧げた樣な三種の類型があることを許しまして、此處に、宗教上哲學上などの偉人の性格や思想に矢張り各此類型を代表するものがあると思ふのであります。
三 三種の禍惡に該當する宇宙觀
前に述べたる禍惡に對する三種の態度を我々は、便宜上、順次に知的、意的、情的と呼んでよかろうと思ひます。
第一の禍惡觀は重もに學理的の徑路だけを履んで到達することが出來る。樂であれ、苦であれ、善であれ、惡であれ、一切の事象は避くべからざることであること、必然の理法によつて起るのであつて、悶へても、祈つても詮ないことであるといふことを悟れば足るのであります。此苦とか、樂とか、善とか、惡とかゞ、皆な何等かの意義を有して居るものであるといふ觀念と、從つて、我々は自ら進んで禍惡と戰ひ、苦を冒し(第二の禍惡觀)若くは、歡喜の情を以て禍惡其物を美觀樂觀せねばならぬ(第三の禍惡觀)といふ樣な觀念は無いのである。第一の禍惡觀は、宇宙秩序に目的[#「目的」に白丸傍点]といふものを認めずとも成立つものである、換言すれば純粹
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