の禍惡觀は出て來ぬ」に二重丸傍点]と言つて宜しいのであります。而かも、此論理的の關係の無い處に[#「此論理的の關係の無い處に」に白丸傍点]『神の知的愛[#「神の知的愛」に白丸傍点]』を唱ふるところが又氏の人格の偉大なる所以であります[#「を唱ふるところが又氏の人格の偉大なる所以であります」に白丸傍点]。若し是れが無つたならば、氏は單に一個の學者としてえらいのみであつて、完全な人としてえらいとは言はれません。此點は實に、氏が單に知性の人として卓越な學者であるのみならず、情性の人として卓越して居ることを示すものであらうと思ふのであります。
 以上は、單に宇宙觀の性質上より言へば論理上[#「論理上」に丸傍点]决して第一の禍惡觀以上に出ることの出來ぬものが、不知不識の裡に第三の禍惡觀を取れるものゝ例でありますが、又其宇宙觀の性質上より言つて[#「其宇宙觀の性質上より言つて」に白丸傍点]第三の禍惡觀とよく契合して居るものもあります。是れは即ち、知[#「知」に二重丸傍点]の要求に基ける實在[#「實在」に丸傍点]の觀念と情性[#「情性」に二重丸傍点]の要求に基ける『善[#「善」に丸傍点]』の觀念とを
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