已むべからざることを知つたからといつて、歡喜の情を以て[#「歡喜の情を以て」に丸傍点]之に服從することが出來るや否やは疑問である。少くとも其間に論理上の關係のないことは前に述べた通りであります。已むを得ざることなれば必ず willingly に服從せねばならぬといふ理窟[#「理窟」に丸傍点]はない。等しく服從するとしても、willingly に服從することもあれば、reluctantly に服從することもある。スピノーザ[#「スピノーザ」に傍線]の本体の觀念と『神の知的愛』との間には矛盾はないとしたところが、乍併又論理上の必然の關係もないと言はねばなりません。勿論『愛』といふ語を、唯、云々の事を知り明める[#「知り明める」に丸傍点]といふ意に使つたとすれば、差支はないが、乍併、此の如き『愛』は所詮非心理的であることを免れません。若し之を以て『神の知的愛』と言ふことが出來るとすれば、今日の自然科學者は悉く此境界に到達して居ると言つても差支ないのであります。而して言論の上[#「言論の上」に丸傍点]のみのスピノーザ[#「スピノーザ」に傍線]を見ずして其全人格[#「全人格」に丸傍点]を見る時は
前へ 次へ
全18ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
朝永 三十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング